嵐山町の観光



紅葉の名所

嵐山PA ・嵐山PA
関越道嵐山パーキングエリアにはもみじの植え込みが有り、11月下旬、赤く染まった。
写真は上り線PAの駐車場サイドの様子。(11月29日)

・嵐山渓谷
ここは有名なところだが、槻川の左岸はクルマが入れないので比較的静かなところ。
千手堂橋の河原は賑やかだが、ここまで来る人は少ない。


・晩秋の嵐山渓谷
H24年12月5日、久しぶりに奥の嵐山渓谷を訪問してみました。12月の初めとあって紅葉は少し遅かったかも知れません。
沈下橋のところからトラスト地の展望あずま屋(トイレ有り)を通って半島の先端(行き止まり)まで行き、帰りは槻川荘キャンプ場内(入場は有料で¥300)から吊り橋を渡って戻ってきました。
ここまで入るのは公共有料駐車場からは遠いので人も少なく静かでした。槻川荘の有料駐車場なら近いがわかりにくいところだ。



名所旧跡

 *都幾川河原堤の桜  <地図>
都幾川堤  春は都幾川堤の桜が4月上旬に見ごろとなる。 まだそれほど年数の経っていない桜だが、約150本の並木になっている。河原と堤防には芝生がある。
駐車は学校橋のたもとに¥400で100台可能。


 *杉山城跡  <地図>
 埼玉県指定の史跡で、戦国時代に築城された山城である。遺構の保存状態が良く、複雑に入り組んだ土塁や堀の城構えを見ることが出来る。この城跡はすべて私有地であるが、見学は可能だが、まだ十分な整備は出来ていない。駐車場は無い。
 最近になって整備が行われ、雑木などが伐採されて見学しやすくなりました。詳細はこちらをご覧下さい。


 *鬼鎮神社  <地図>
鬼鎮神社  全国でも珍しい鬼を祭った神社です。畠山重忠が菅谷館築造のとき、うしとら(東北)の鬼門除けとして祭ったと伝えられ、金棒を持った鬼が奉納されています。 戦時中は軍人や家族の参拝でにぎわい、今は受験生の祈願でにぎわっている。2月3日には「福は内、鬼は内、悪魔そと」と豆まきをする変わった節分として全国に知られている。


 *菅谷館跡  <地図>
菅谷館跡  菅谷館跡は,鎌倉時代の始めに畠山重忠が,ここ菅谷に館を構えたことに始まる と伝えられています。
現在の遺構は,戦国時代に完成した城郭といわれ,自然の地形をたくみに利用し 本郭を中心に,深い空堀と高い土塁に囲まれた郭が扇状に展開しています。
 昭和48・50年の2回にわたる三ノ郭の発掘調査で,建物や井戸跡,享徳2年 (1453)銘の金箔を押した板石塔婆などが出土しています。
 面積は約12万平方メートルあり,昭和48年には国の史跡に指定されました。 又,同敷地内には埼玉県立歴史資料館があり,比企地方を中心とした,縄文時代 以降の縄文土器などや板石塔婆などの考古・歴史展示室や,つい最近まで使われ ていた農業・養蚕用具などの民族展示室が見られる。
駐車場は歴史資料館を使える。


 *槻川と嵐山渓谷  <地図>
嵐山渓谷嵐山渓谷嵐山渓谷
 写真の場所が京都の嵐山と似ていると言われているところで、嵐山渓谷の入口である。ただそこからの遊歩道は整備されていないので、河原の広いここの都幾川や槻川でデーキャンプやバーベキューで賑わっている。周辺は樹木が多く,紅葉の時期に は特にきれいだ。夏はキャンプも出来るし,車は100台くらい駐車出来る。 槻川橋の上流に回り込めば渓谷が絶景だ。駐車整理料として¥600。

 *オオムラサキの森  <地図>
 オオムラサキは昭和32年,日本の国蝶に指定された。菅谷館の近くの森に生息 しており,6月下旬から8月上旬には華麗に舞う姿を見ることが出来る。
 「オオムラサキの森活動センター」がオープンしている。



施設の紹介

・埼玉県立歴史資料館  <地図>
県立歴史資料館  菅谷館跡内にあり、県北西部の資料を中心に縄文土器、土師器などの考古資料、瓦、板石塔婆などの 歴史資料のほか、養蚕や麦作りなどの民具を展示している。入館料は¥50。
(電話:0493−62−5896)

埼玉県立嵐山史跡の博物館のホームページ

・国立女性教育会館(旧国立婦人教育会館)  <地図>
国立女性教育会館  秩父連山を背にそびえ立つ国立女性教育会館は、国内、国際交流をはじめ、女性関係者に対する実践的な研修など専門的な調査研究をしている。 また、講堂・図書館や宿泊施設・テニスコートなどが整った会館です。
(電話:0493−62−6711)

国立女性教育会館のホームページ

・郷土館(旧日本赤十字社埼玉県支部社屋)  <地図>
郷土館  明治38年に浦和市に建設されたこの建物は、昭和57年に県が県民休養地事業の一環として嵐山町鎌形小学校の敷地内に移築した。 きわだったデザインと創意性に満ちた明治時代の洋風建築として貴重なものです。
駐車場は無し。




ハイキング

 武蔵嵐山駅を南に向けて出発。真っ直ぐに町並みを抜け、小学校と中学校の間を抜けて国道254号バイパスに出る. バイパスの向こう側が国の史跡に指定されている菅谷館跡である.
 ここは,鎌倉時代の武将畠山重忠が館を構えたと伝えられる所.各所に見られる土塁 や空堀などの遺構は,当時の館跡ではなく,戦国時代の城郭の跡.
 館跡の中に建つ県立歴史資料館は,菅谷館跡を中心とした郷土の歴史研究のための 施設.中には,郷土の考古,歴史,民族資料が展示されている.特に中世に関する資料 が豊富なので,中世のイメージをさらに広げるために,ぜひ訪れたい.(入館料は¥100)
 館跡入口の分岐点を右に進むとオオムラサキの森に出る.蝶の住める環境づくりを すすめ進める町民たちの手で管理されているこの森では,6月下旬から8月下旬にかけて,鮮やかな紫色の羽を持つ国蝶オオムラサキの姿が見られる.また,この森に隣接 する蝶の里公園はオープンして日が浅い.園内には,さまざまな種類の 蝶の生態に適した草花や花木が植えられていて,この季節,色とりどりの蝶の姿が みられる.
 さらに槻川沿いの道を上流へと進むと槻川橋に出る.この付近は昭和の初め,京都の嵐山に似ていることから武蔵嵐山と名付けられた所.橋のたもとに広がる河原は,春から秋にかけて,川遊びやバーベキューで賑わう. また,この河原の上流には嵐山渓谷がある.大平山と塩山との間を蛇行して流れる槻川が造りだしたこの渓谷.深淵の水面は深まる緑を映し出し,せせらぎは快い瀬音を奏でている.
 嵐山渓谷の美しい景色にしばし休息して,班渓寺への道をたどる.
 班渓寺は,木曽義仲の妻・山吹姫が義仲とその長男・清水冠者源義高の菩提を弔うために建てたと伝えられる寺.境内の墓地には山吹姫の墓と伝えられる小さな五輪塔がある.
 班渓寺から,10分ほど行くと,右手にうっそうと茂るスギ木立ちに包まれた鎌形八幡神社がある.静かな境内には,木曽義仲の産湯をくんだと伝えられる清水のの跡が残る.また,貞和4年(1348)の銘がある懸仏などが伝わっている. 八幡橋を渡って,都幾川沿いの道を下流に向かって学校橋へと向かう.学校橋を渡り,坂を上がると国道254号バイパスに戻る.

以上 嵐山町観光協会より
   問い合わせ:0493−62−2150(代表)


遠山の里  <地図>
 嵐山町に「遠山」という四方を山に囲まれた小さな部落がある。そこは嵐山渓谷のさらに上流である。 町の中心から遠山へ行くにはひとつの峠を越えなければなりません。 観光客はほとんど行きませんが、静かな里です。写真のような大きな石灯籠も現存しています。
 ある人はここを「遠山谷」と名付けてくれました。
 遠山へ入るには国道254号の嵐山バイパスの「農産物販売センター」の信号機を入れば真っ直ぐに行ける。峠を下ったところに駐車場有り。
峠から見る遠山の里 石灯籠

・町の最高地点  <地図>
遠山と小川町の境界に嵐山町の最標高地点がある。標高は約220mだが、山の名称は不明。(三角点無し)
尚、最低地点は都幾川下流(根岸地区の最東端)で海抜32m。

・大シイの木
 遠山寺の裏山には天然記念物に指定された「大シイの木」があるとのことだが、登山道の整備がされて無く、夏は藪に覆われて近づけない。
嵐山町の地図嵐山町の湖沼群嵐山町の巨木




Copyright (C) 1997-2012 JA1KLB
inserted by FC2 system