- 楡木宿を出て
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楡木宿の最寄り駅である東武日光線の楡木駅には9時過ぎに着きました。宿場の中心は700mほど東にあり、駅周辺はちょっと寂しい。
楡木駅は無人駅だがICカードのタッチパネルが備わっている。また駅前通りの30mくらいのところには東武鉄道切符発売所の看板のある民家がある。
駅から5分ほど歩き、街道の楡木宿に出て日光方面へ向かいます。
宿場内の道幅は広いが商店などは少なく、所々に蔵造りの建物が目につきます。
蔵の脇に何か立て札のようなものが立っているのだが、使われなくなった掲示板なのか、説明文字が消えているのか何だかわからない。
他にも何もないので本陣などがあったかどうかもわかりません。
その先には4体の石仏が並んでいました。
楡木町北のバス停を過ぎて宿を抜けるが、次の佐奈原宿はすぐ先なのです。
佐奈原にも蔵作りの屋敷が点在しているが、宿場の感じはありません。蔵は土蔵ではなく、石づくりになっています。
佐奈原を抜けると樅山駅入口を通過します。
杉並木の名残を見るとまもなく大門宿に入ります。宿場町では無かったようだが街になっています。
現在この付近の街道は国道になっており、ここは国道293号線と352号線の重複区間になっています。293号線はこの先鹿沼市内から別れて日立市方面に
向かい、352号線は鹿沼で121号線と合流した後、西会津経由新潟県柏崎に繋がっています。
- 鹿沼宿
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何とか「道」の文字が読める石の道標と押原神社への道標を見ると鹿沼宿に入ります。
石仏を見ながら進んで行くとY字路になり、ここは鳥居跡と言うようです。源頼朝が建てた鳥居があった場所とのことです。
右へ行っても左に行っても旧街道だが、今回は左に行きます。
Y字路の左側には東武線の新鹿沼駅、Y字路の中央には小さな神社が祀られています。
古い商店街を進んで行くと寺町で、左側に桜の花が満開のお寺があります。
その先は電柱の削除されたきれいな町並みの通りになっています。
そして、新しい「まちの駅」がありました。バス停・レストラン・販売所・トイレや休憩所などがあり、賑わっています。
まちの駅は市街地に出来た道の駅のようなもので、国土交通省の管理外のようですが、旅人には便利な公衆トイレや休憩所がある施設です。
その先も少し趣のあるある町並みがあります。
日光まで27Kmの標識が出てきました。
ここを右に曲がって黒川を御成橋で渡ります。
上流方向には雪を頂いた日光の山々が見えます。
- 杉並木街道
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その先少し行くと名残の杉並木が見えてきますが、まだ途切れ途切れの並木です。
歩道は杉並木の外側に造られているので安全に歩けます。
この辺りは「鹿沼土」の産地であり、所々でビニールハウスの中で土を培養している様子を見ることも出来ます。
花の形をした太陽光パネルが立っています。
日光市の標識のところから本格的な杉並木が始まります。鹿沼からいよいよ日光に入ったのです。
そこには日光杉並木街道の標識や説明板があります。
この先は両側に延々と杉並木が続きます。
街道と並行して右の山林内をJR日光線が通っているので電車の走る音が時々聞こえてきます。
かつての本当の街道はクルマが走る道だが、外側の歩道は安全に歩けます。
小倉の一里塚があります。小さい塚だが両側に残されています。
その先、杉並木の間から右にJR日光線の文挟駅が見えました。ふばさみと読みます。時刻は15時、予定より1時間早く着きました。
時間も早いのでまだ先まで行こうかとも考えたのだが、予定通りだし次の駅だと街道からは遠いのでで今日はここまでとします。
この駅も無人駅だがボランティアの人が駅の管理をしているようでした。
40分待ちで乗った宇都宮行きの電車はこの春から導入された205系の電車です。
この後、宇都宮線・川越線経由で帰宅しました。
<平成25年4月>
次は今市へ
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