- 大田原を後に
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今日は西那須野駅からはバスで大田原市内に向かい、大田原宿からその先を歩きます。
西那須野駅9:10発のバスは東野交通、10分乗って大田原市内の中央一丁目で下車し、少し先の変形十字路が今日のスタート地点です。金灯篭のあるところです。この灯篭は元は会津西街道にあったものを移設したもののようです。
ここは大田原市の中心地で国道400号と461号線の交差点になっており、奥州街道が461号線で、横切るのが400号線です。
十字路から少し北に461号線を進み、次の信号のある交差点を左に曲がり、さらに100m程行ったホテルの手前の交差点を右に曲がります。
住宅街の中でクランク曲がりになっています。これは枡形なのでしょうか。
古そうな呉服屋さんがあります。
まもなく先程の国道461号に突き当たり、合流します。そのところの大田原神社の入り口に「木戸跡」の標柱が立っていました。ここが大田原宿の北の入口なのです。
国道に合流するとすぐに蛇尾(さび)川を渡ります。
橋を渡った先で国道と別れて左に行くのが旧街道です。現在は県道72号線(大田原・芦野線)となっています。
桜が満開です。しばらく行くとコンビニの前に中田原一里塚がありました。
その先、棚倉道との分岐点(市野沢小入口)に史跡指定の道標(3基)がありました。文字が読みにくいですが、右たなくら、左しらかわと書いてあるようです。現在の交差点手前の道路標識では「→寒井」と表示されています。
広域地図を見るとここから棚倉へは標高600mほどの戸中峠を県道で越えているようです。
信号のある市野沢十字路の先に「高野槇(コウヤマキ)」という大木があります。樹齢400年、高さ17mで天然記念物に指定されています。
元は30mの高さがあったようですが、先端が枯れてしまっています。
相の川を渡り上野集落を過ぎたところの右側に食堂があり、時刻も11時を回っているのでここで昼食とします。隣にはラーメン店もあります。この街道では貴重な食事処です。
他に客がいないので、マスターが「街道を歩いているのか?」と話しかけてきました。時には団体のウオーカーが昼食に寄るとのことです。
ちなみにこの先、芦野までの沿道には食堂・レストラン等はありませんでした。
40分ほど昼食休憩の後、12時ちょうどに出発します。食堂の向かいには馬頭観音がありました。
練貫集落を過ぎたところの少し上り坂にかかるところに石仏群です。石灯籠や十九夜塔があり、灯篭は道しるべにもなっていますが上の部分が無くなっているようです。すべて南(江戸方向)を向いて立っていました。
明治天皇の碑があり、その先に右へ入る山道があります。
もしかしたらと思い山道に入ってみると正しく旧道跡と思われる道型がありました。多分、現在の車道に改良されるまで使われていたのでは無いでしょうか。200mほどで現在の県道に合流します。
- 黒磯に入りました
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山道から出て車道に合流するとすぐに「黒磯市」の標識がありました。那須塩原市とはここでお別れです。
ここを右に行くと1.6Kmほどのところに白鳥の飛来する羽田沼があるようです。
少し坂を下り、しばらくは平坦な道を行きます。
樋沢神社の境内に「葛籠石の馬蹄跡」という大きな石が文化財になっていました。
中山道にも馬の足跡なる石がありますが、まあ伝説ですね。。。
(右の写真はクリックすれば拡大します)
その先の峠の鍋掛神社の入口には鍋掛一里塚があります。小さな塚ですが道路の改良時に移設されたようです。現在の県道は相当深い切り通しになって、クルマも楽々と走って行きます。
峠名は一里塚の説明板に鍋掛愛宕峠と書いてあります。
峠を下ると信号機のある十字路で、左向こうに子育て地蔵が祀られています。その手前はコンビニです。
信号の先が鍋掛宿です。ここも古い町並みは無くなっています。歩道も広い宿場通りになっています。
宿内に芭蕉の句碑があり、休憩用のベンチなどもあります。
正観寺の入口には大きなしだれ桜が満開です。樹高15m、樹齢250年と表示されています。そのところに道しるべも立っています。
車道は左にカーブしますが、旧街道は直線的に行きます。右側の側溝には水が勢いよく流れています。この左側あたりに本陣があったようです。
突き当たるので左に行くと県道に戻ります。その向こう側の杉林の中に石仏群がありました。
鍋掛宿はここが枡形で、直ぐ先で那珂川を渡ります。
かつては橋の手前のこのあたりを下りて川を渡っていたようですが、今は私有地なのかロープで柵がしてあります。
歩行者専用になった古い方の昭明橋を渡ります。
<平成19年4月>
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