- 松井田〜五料
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旧道雰囲気の街道を行きます。大きな石仏も2つ、静かな集落の中を行きます。
一里塚の標識がありました。その説明書きを見て、民家の脇を入って行くと庭の植え込みの中にそれらしい塚がありました。民家の敷地みたいなので写真を1枚撮って早々に次へ進みます。
信越線の線路脇に出ました。他の歴史資料では街道は線路沿いに行くように記載されています。
しかし、線路沿いにまっすぐ行く街道は不自然なので、ちょうど農作業帰りの年配のかたが通りがかったので街道の道筋を訪ねると、街道は信越線の線路を渡ってほぼまっすぐに進んでいたようです。
民家専用の道を入って、犬2匹がうるさいお宅の中庭みたいなところの先が崖になっていました。
犬の吠える声にその民家の住人の人が顔を出してきたので街道を見に来た旨を説明しますが、犬は私が線路の先に戻るまで吠え続けていました。私が怪しい人に見えるのか、それとも犬が悪いのか。
崖のところは階段で下りられるようになっており、その下には完全に薮に覆われた石仏群がありました。
道跡はその先も下っているようなのですが、その先はもう木々に覆われて歩行困難です。
街道は一旦下に下りて、再度その先で段丘に上がって来ていたようです。これはこの段丘に監視所(砦?)が置かれて、通行人を監視できるようにしていたようです。
戻って、線路としばらく並行してから踏切を渡ります。この踏切には「第十中仙道踏切」と書いてあります。
家が点々とした集落を行くと、畑の中で数頭の野猿が何かを食べていました。地元の人に聞くと毎日午後になるとこの辺に出没して農作物を荒らされると言っていました。このあたりでは結構被害があって困っているようです。
まもなく国道18号に突き当たりますが、街道は少し先のところで斜めに横切り、長野道の下をくぐります。
民家の庭先に大きな庚申塔を見、まもなく「五料の茶屋本陣跡」の標識があります。
- 五料から横川へ
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茶屋本陣は信越線の線路の向こう側に2棟あり、一般にも公開されています。
双体道祖神がありました。
さらにまっすぐ行くと国道に出てしまいますが、出る手前で踏切を渡って坂道を上っていきます。
坂道の途中に夜泣き地蔵と茶釜石がありました。茶釜石は小石でたたくとカンカンという高い音を発する。茶釜を叩くような音が出るのでそう名が付けられたようです。
上り坂が緩くなったところを行きます。
集落の中で下り道に変わり、前方の視界が開けてきます。
線路が近づいて来て車道はまっすぐに行くが、左に入る歩行者専用の踏切があり、多分旧街道はこのあたりを斜めに行っていたものと思われます。
その踏切の先は畑専用で行き止まりだが、畑の畦を通らせてもらって、さらにガードレールを跨いで国道に出ます。
国道に出ると左斜めに入る旧道がありました。
小学校裏の旧道を行きます。
国道に出ますが、またすぐに旧道に入ります。
ここの旧道には女街道への道しるべと思われる石が立っていました。しかし、文字は読めない状態ですが、近くにいた地元の年配の人に聞いて確認しました。
女街道はここから和美峠を越えて追分宿の手前に出る、碓氷関所をパスする裏街道です。この女街道もいつかは行ってみたいものです。
その先には百合若大臣の足跡石なるものもありました。
また国道に出ます。
左下は碓氷川です。このあたりの国道は桟橋状のがけの上を行きます。
街道の今は国道を行きますが、かつては右の山の中腹を通っていたようです。まもなく踏切を渡って横川の旧道に入ります。
信越線と並行して横川に入ります。
横川は宿場の雰囲気のある静かな釜飯弁当と旧鉄道の街です。今、ここから碓氷峠を越えるには鉄道は無く、バスしかありません。
右の写真は横川の茶屋本陣です。
ここで時間はまだ3時30分だが西側に山が迫るこのあたりでは、もう日が落ちて暗くなりかけています。
写真はうまく撮れないが、今日は直ぐ先の坂本宿まで歩いて終了とすることにします。
坂本宿から横川駅までの戻り道は、峠の湯の裏からアプトの道を下りましたが、途中は明かりも無く真っ暗な道を帰ってきました。
<平成18年11月>
この先の碓氷峠は軽井沢側から歩きます。
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