●茨城県●
<日立電鉄線跡>・・・平成17年廃止

日立電鉄線は日立と常陸太田(鮎川−大甕−常北太田)を結ぶ鉄道で、太田側は昭和4年開業であり、鮎川側は昭和22年開業であるが、平成17年3月に廃止になった私鉄です。
まだ1年経たない新しい廃線ですが、現在どのような状態になっているのか、大甕(おおみか)駅から常陸大田まで歩いてみました。
尚、1昨年にこの大甕から常北太田まで最初で最後の乗車をした線です。

JR常磐線大甕駅とは跨線橋で繋がった西側のホームがJRとの接続駅で、改札はホーム上にありました。現在はホームや跨線橋は残されていますが、線路や架線は完全に撤去されていました。 線路跡は砂利が馴らされて平らになっています。
空き地に踏切り警報機がいくつも並べられているのは異様な光景です。ホームや敷地内は部外者は入れないようにロープや柵が付けられています。
日立電鉄廃線跡日立電鉄廃線跡

ここから出来るだけ廃線跡に沿った道路を歩いて太田方面へ向かいます。時刻は10時30分スタートです。
廃線跡はJR常磐線をくぐって東側に出て25パーミルの下り勾配を南下し、道路の陸橋をアンダークロスします。その陸橋から撮りました。
その先、踏切りの部分だけはそのまま線路が残されています。
日立電鉄廃線跡日立電鉄廃線跡

久慈浜駅です。車両が3編成残されていました。駅構内だけは線路もそのままです。車両の工場(検査場?)もシャッターが閉まっています。
駅前はロータリーを造る途中だったのでしょうか、区画整理が途中で止まっているようです。駅通りもあまりクルマや人通りはありませんが、ここは日立港に近いようです。
日立電鉄廃線跡日立電鉄廃線跡

久慈浜駅までは南に向かっていた線路跡はこの先北西方向にカーブして向きが変わり、台地の下の短いトンネル(長さ37m)を抜けて再度JR線をアンダークロスします。
台地と道路の間を行きます。枕木がごみ置き場として利用されていました。交通量の少ない道路と並行しているので廃線跡探訪にはなかなかいいです。でも近い将来は道路の拡幅で跡は消えてしまいそうです。
日立電鉄廃線跡日立電鉄廃線跡

駅のホームがありました。駅名板は取り外されているのですが、資料で確認すると南高野駅です。
駅そばの踏切り通りは交通量が激しく、信号も横断歩道も無いので渡るのに苦労します。
日立電鉄廃線跡日立電鉄廃線跡

次の駅の単線の茂宮駅を過ぎたところで大みか駅行きの代行バスとすれ違いましたが、乗客はひとりしか乗っていませんでした。
右の写真は国道6号線の陸橋から大甕方向を振り返ったところです。
日立電鉄廃線跡日立電鉄廃線跡

大橋駅には車両はありませんが線路が残されていました。保存する予定なのでしょうか。
駅前の通りは古い家もあり、かっての宿場町の雰囲気が覗えます。
日立電鉄廃線跡日立電鉄廃線跡

大橋駅の先では長い鉄橋(200mくらい?)で県道をオーバークロスします。おととし、この電車に乗った時は長い鉄橋なので川を渡るのかと思いましたが、そうでは無く取り付け部分も橋になっているのです。 集落の中を行くので築堤にするだけの用地買収が出来なかったのでしょうか。電車は民家の屋根のようなところの鉄橋を最徐行で通過していました。
大橋駅から鉄橋上部分まで連続して線路が残されており、鉄橋上には架線も残されています。 宿場町ですから枡形の部分で道路をオーバークロスして行きます。
日立電鉄廃線跡日立電鉄廃線跡

その先は田園の中となり、常磐高速をくぐります。用水路を渡る小さな橋は数多く残されていました。
日立電鉄廃線跡日立電鉄廃線跡

川中子駅です。信号などの機器は取り外されてまとめて置いてあります。その先、山のすそを巻くようにして国道293号をアンダーパスします。
日立電鉄廃線跡日立電鉄廃線跡

常陸岡田駅です。ここにも踏切り警報機が大量に集められていました。このそばには変電所がありました。
日立電鉄廃線跡日立電鉄廃線跡

これは境界標でしょうか。敷地も広く、複線が引けるような幅があります。
日立電鉄廃線跡日立電鉄廃線跡

小沢駅の先には長さ158mの里川橋梁があります。ここにも架線と線路が残されていました。やはり撤去が難しいから残されているのでしょうか。
日立電鉄廃線跡日立電鉄廃線跡

国道349号バイパスをくぐると合同庁舎を左に見ながらまもなく太田の市街地に入ります。
日立電鉄廃線跡日立電鉄廃線跡

踏切りの先が常北太田駅です。車両がいくつも留置されています。派手な広告電車もあります。
関連会社と共用の駅舎もそのままで、待合室はバスの待合用として使われているようですが、駅名表示はすべて外されています。
ただ今、3時15分、電車なら11.5Km20分ほどなのだが、ここまで約4時間半歩きました。道路の向かい側にあるJR水郡線の常陸太田駅から帰途につきます。
日立電鉄廃線跡日立電鉄廃線跡

廃線後、1年も経たない廃線跡を探索したのはこれが初めてでした。また数年後になってから訪問し、どのように変わっているかも見てみたいものです。
そういえば、距離標や勾配標識などもすべて撤去されて残されていませんでした。

(平成18年1月)

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