昭和50年
気動車全盛の八高線

昭和47年に鉄道100年イベントによるD51を撮影後は他線のSL撮影に凝り、48,49年の八高線の写真はまったく撮っていませんでした。
ここに紹介するのは昭和50年、全国の国鉄でSLが廃止になった年のものである。

キハ17 写真は明覚−越生の越生側の刈り入れの終わった冬の田園の中を行くキハ17+20+17型。
今はこの付近、ほとんどが休耕田になってしまっている。バックの山はときがわ町の弓立山である。

キハ35
これは小川町−竹沢間である。架線は右側に並行する東武東上線である。

キハ35
写真は明覚付近のキハ35+17型の混編成で、房総地区や関西本線の電化により転籍してきた35型が多くのキハ17型に変わって運用されていた。 しかし、ドアボタンも無く冬は寒く、夏は暑い車輌であった。

キハ35
これは明覚の都幾川鉄橋である。

キハ35
この頃、合理化の進む国鉄は労使紛争が激しかった。このため写真のように車体に落書き文字が書かれたものが走ることもあったのである。
向こう側に写る山は越生の弘法山。

キハ35
その弘法山から撮ったキハ35気動車。


キハ35
気動車の最大編成は5輌編成であった。
5輌編成の場合は最後部の1輌分がホームにかからない駅があり、その場合は最後部の車輌はドア閉め扱いとなった。5輌編成が横付け出来た箱根ヶ崎駅等では、今でもその低い5輌目のホームを見ることが出来る。

DL貨物列車

SL廃止後も貨物はDLで牽引する貨物列車が走り、主として秩父から高麗川のセメント工場まで石灰石を運んでいた。しかしその後、セメント会社による秩父−高麗川工場間のベルトコンベアーの完成により、石灰石列車は廃止になった。

DE10
写真は小川町−明覚間である。編成が短い場合はDE10で牽いていたのですね。

DD51
これも上記の近くの場所であるがDD51の牽引である。


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