昭和51年
団体臨時列車

この年、始めて団体列車の撮影をしました。 この列車は高尾行きの団体専用高尾山初詣列車で、群馬や埼玉北部からの団体客を乗せて行きます。この高尾臨は毎年1月に2回ほど入り、年によっては2月の節分祭の時も走ったことがあるのです。
この頃はまだ撮影者は少なく、場所は自由なところで狙うことが出来ました。

高尾臨 写真は折原−竹沢間です。まだこの頃は脇の山には道路が出来ていませんでした。時刻は午前8時過ぎでやっと日がいっぱいに照らしてくれました。

高尾臨
これは明覚−越生間です。客車は12系の7両編成になっていました。最前部の車輌にはこの先の毛呂駅で乗客が乗ってくるようです。


高尾臨
写真は帰りの東飯能駅で側線に入り、普通高崎行き気動車列車の通過を待って30分ほど停車しているところです。ホームにはリヤカーに乗った荷物も気動車を待っています。専用の荷物列車は無いので、定期客車の一部を荷物車にしていたのです。現在は荷物扱いは廃止になりました。
明覚駅

明覚駅 写真は当時の明覚駅。この駅舎は残念ながら昭和63年に火災で焼失したが、桜の木は残りました。

明覚駅
明覚駅で下りの交換列車を待つのは八王子行きキハ35。この時代にはまだ跨線橋は無く、改札口から上りホームへ行くには線路を渡っていたのです。


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