赤坂宿〜垂井宿

2年ぶりで中山道の美濃路を歩きます。今回は赤坂宿から西へ近江に向かって3日間の予定で歩きます。
赤坂宿から垂井宿へ

1日目の今日は朝6時に自宅を出発、新幹線と東海道線を乗り継いで11時前に美濃赤坂駅に着きました。 この駅は東海道線支線の終着駅です。駅前通りを真っ直ぐに行って街中の旧中山道に向かいます。 駅前通りと言っても古い板壁が続く古い住宅街です。
垂井垂井

十字路に出たところの左右に走っている道が旧中山道である。
垂井垂井

通りに面している家が続いてかつての赤坂宿の雰囲気があります。左側には本陣跡の標柱があり、旅館の看板もあがっています。
垂井垂井

宿の終わりには一里塚があります。右側のは残っていません。その前には街道の案内図も立っています。
(右の写真はクリックすれば拡大します)
垂井垂井

すぐ先に踏切跡があって、貨物線の廃線跡です。まだ線路もそのままになっています。これは平成18年に廃止になった西濃鉄道昼飯線で、約1.9Kmの石灰石輸送専用線であった。
垂井垂井

宿を抜けてしばらく行くと東海道本線の下り専用線の下をくぐります。東海道線の電車線はもっと南側を走っているのであるが、それは勾配が急な(千分の20)ため電気機関車牽引の列車は勾配を緩くしたここを大回りをしているのである。
垂井垂井

大きな門構えの家もある「史跡の里・青墓」です。
垂井垂井

牛若丸ゆかりの吉竹庵の説明がありました。
垂井垂井

青墓を抜けると街道は県道を斜めに横切って西進します。ここには街道の案内図やベンチ、向こう角にはコンビニもあります。
垂井垂井

国分寺道と刻まれている石灯籠があります。ここから少し入ったところに「美濃国分寺跡」があるようです。
垂井垂井

無名のお屋敷と、その先には一里塚跡の標柱と石灯籠です。
垂井垂井

この辺りには所々にこのような「この道は中山道」の表示があります。
小さなお地蔵様が2体、手厚く祀られています。その脇には「御坊道」という道標。御坊とはどこなのでしょうか。
垂井垂井

観音堂があります。
その先、街道がT字路で突き当たりました。正面は相川で、かつては渡しだったようです。
垂井垂井

ここは大垣道との追分でもあります。反対側から見る道標に右東海道と書いてあるので、左へ行けば大垣を通って東海道へ合流する街道のようです。
垂井垂井

垂井宿に入る

現在は相川橋で相川を渡れば垂井宿に入ります。
垂井垂井

宿に入る手前で河川敷に下りるとベンチがあるので、そこで昼食休憩をとることにします。
垂井垂井

少々休憩後宿に入ると少し雨が落ちてきました。仕方がないので傘をさして歩くことにします。
Sカーブの道は枡形の名残りでしょう。角の家は「旅籠亀丸屋」と書いてあります。その先の家は問屋のようです。
垂井垂井

垂井宿も結構見所がありそうです。大きく旅籠と書いてある家には「お休み処旧旅籠長浜屋」とも書いてあります。
垂井垂井

格子戸がいいですね。屋号もそれぞれ表示されています。
垂井垂井

宿の西の端のここが西の見附だったところみたいです。
垂井垂井

車道が右カーブするところで東海道本線の踏切を渡ります。「この先350m一里塚」の標識もあります。「出屋敷踏切」という名称になっているようです。
その先で国道21号線を横断します。
垂井垂井

道標「南宮?近道」があります。その先に茶屋があります。
垂井垂井

坂道の途中に垂井一里塚です。ここも片方だけだが、なかなか偉容を誇って鎮座している塚です。
(右の写真はクリックすれば拡大します)
垂井垂井

街道は先程の国道21号線を再度斜めに横切ります。
この関ヶ原町の標識があるあたりから関ヶ原町に入ったようです。雨も止んできました。
垂井垂井
<平成24年5月>

次は関ヶ原宿へ


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