- 高宮宿
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今日は中山道3日間歩きの最後の日です。
宿泊地の彦根から近江鉄道に乗って昨日の高宮駅に着きます。
細い駅前通を真っ直ぐ行けばすぐに中山道に突き当たり、左へ行きます。
なかなか良い町並みです。緩やかなSカーブになっています。
「宿駅 座・楽庵」とは何のお店でしょう。軒先にはベンチがあり、思わず休憩したくなりそうです。
ここは提灯屋さんのようです。
その先、鳥居の脇に石灯籠です。大きな鳥居は多賀大社の一の鳥居で、ここから大社へは真っ直ぐの約3Kmある参道です。高宮は門前町としても栄えたのです。
芭蕉の泊まった小林家には芭蕉の紙子塚があるという。紙子は紙で造られた衣服とのこと。
その先、右には本陣跡があります。
明治天皇行在所跡の碑がある円照寺の山門。
まもなく町並みが途切れて宿場街が終わります。
橋のたもとにある地蔵堂と無賃橋の石碑。この地蔵は近年になって橋脚の改修時に発掘された物とのこと。
渡る川は大上川、川幅は大きいが水がまったく流れていない水無し川である。
上流側には近江鉄道と東海道新幹線が走ります。
橋の出口にも「むちんはし」の石碑があります。かつて、川を渡るに無賃は珍しかったらしいです。
並木道の東側には田園風景が広がります。
葛籠町の観光案内マップが掲げられています。藁葺き屋根の民家もあります。
了法寺の山門を右に見てさらに進みます。
松並木の先に中山道モニュメントが立っています。
出町の十字路を通過します。
- やりこの郷から愛知川宿へ
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「やりこの郷」の説明があり、「やりこ」とは矢り木のことでその昔、神様のお告げで木の上から矢を射った先から水が湧きだしたことからそれが地名になったとされています。
「一里塚の郷」の碑の先で豊里町役場前を通過します。このような公共施設ではトイレをお借りすると良いです。
宿場ではないが街道筋には古い家が点在しています。
ここに一里塚跡の碑があります。先程の「一里塚の郷」から歩いて30分くらい離れて立っています。
宇曽川を歌詰橋で渡ります。この川は水量が多いです。
橋を渡ると石橋集落に入る。宇曽川と橋の由来が書いてある。
(右の写真はクリックすれば拡大します)
前にもあったような民家の玄関前にお堂があります。
その先、Y字路は右に行きます。右愛知川宿の標識があり、左へ行けば愛知川駅へ行けるようです。
愛知川宿のゲートをくぐり、宿に入ります。
「愛知川宿北入口」と標柱のあるところに石仏群があり、これは郡分地蔵であるという手書きの説明があります。群の境界のようです。
その先これは広重の絵で、無賃橋が描かれているようです。
明治時代の郵便ポストがあり、現在も使えるようです。
その裏にはむちんはしの絵と説明があります。水が2筋に流れているので2つの橋になっていたようです。
(右の写真はクリックすれば拡大します)
本陣跡の標識の隣に昔の銀行?のような石造りの建物があります。何なのか説明板は無いが現在は使われていないようです。
その先の八幡神社の入り口には石灯籠と、古い商家が並んでいます。
問屋跡の標柱を見てさらに街道を進みます。
明治天皇御聖跡の碑を見、その先で小さな橋を渡ると宿が終わります。
信号機で国道8号線に合流し、少し行くとまもなく御幸橋で愛知川を渡ります。
橋のたもとには石灯籠や橋の説明板があります。この橋も無賃橋だったようです。
橋の上流川を見ると、近江鉄道と新幹線の橋梁が近くに見えます。この川も水量が少ないです。
ここの橋の手前に丁度牛丼店があるので、少し早いが昼食休憩とします。
<平成24年5月>
次は武佐宿へ
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