三国裏街道・中之条

中之条から蟻川へ

三国裏街道は渋川市の金井宿で三国街道から別れ、吾妻川の右岸(南側)を通り中之条・大道峠を経由して須川宿で三国街道と合流する街道である。 この道は三国街道よりも吾妻川の上流を渡るため、川が増水した時などには結構利用価値があったのでは無いかと思われます。
今回は中之条からみなかみ町の須川宿までを辿ってみました。
中之条駅には10時16分着でJR吾妻線電車を降ります。駅前はクルマやバスも少ないので広く感じます。
中之条中之条

駅前から国道に出て少し西に行った信号機の交差点を今日の街道スタートとします。そこを右に入って坂道を上っていきます。
坂の左側には古い旧家が数軒並んでいます。
中之条中之条

中之条高校の先で新道と旧道が別れます。良くあるパターンで旧道は直進し、新道はカーブして離れて行きます。やはりこのようなクルマの来ない静かな旧道は歩きやすいです。
中之条中之条

新道とアンダークロスし、右へカーブして緩やかな坂道を行きます。
中之条中之条

中学校の脇で峠となり、その先で新道と合流しクランク型に曲がって行きます。それにしても中学生は上り坂を上がって来るので大変かなあと思ったりします。帰りは楽でしょうけど。
中之条中之条

下り勾配になった広い車道を行き、まもなく左に入り、その先は右カーブして長久保集落に入ります。
中之条中之条

高津集落には草に埋もれそうになっている石仏がありました。
中之条中之条

集会所脇の石像物は一部の文字から判断すると石灯籠の支柱だったようです。
そばのゲートボール場にベンチがあったので拝借して、今日はここでおにぎり昼食です。このような道を歩いていると途中にはなかなか座るベンチが無いのです。ですから場合によっては畑のあぜ道とか道路の縁石で腰を下ろすしか無いこともあるのです。
中之条中之条

右へカーブしてその先で広い車道に合流します。
中之条中之条

切り通しの峠を越えた先で南側に見晴らしが開けます。
中之条中之条

ほとんどクルマの来ない坂道を下っていきます。ハイキング道でも無い、このような所をトボトボと歩いていると変に思われるかも知れません。
中之条中之条

蟻川川を渡り、その先の十字路を直進してまた上りにかかります。
のり面に大きな庚申塔があります。
中之条中之条

途中で犬の散歩の人とすれ違いました。「この辺り、熊の目撃情報はありませんか?」と聞いたところ、あるとのことで早速熊鈴を付けて行くことにします。
蟻川集落内に石仏群がありました。その先の十字路はここも直進します。
中之条中之条

今は廃校になった古い分教場の校舎が残されていました。門柱には「中之条町立伊参小学校第三分校」と刻印されています。今は公民館として利用されているようです。
中之条中之条

集落内には石仏も結構残されています。
中之条中之条

蟻川から先へ

集落内の坂道を上りきったY字路のところに蟻川氏の住居跡があり、文化財の説明板が立っています。 綺麗に刈り払いされた敷地内には古井戸だけが残されています。長屋門はもう無いようです。
(右の写真はクリックすれば拡大します)
中之条中之条

ここからは急な下り坂になります。棚田の中に石造物がありますが、何なのか説明板も無いのでわかりません。
中之条中之条

つづら折れの坂を下って行くと広い車道と合流します。関越交通の宇原野口というバス停があり、時刻表を見ると日に8本のバスが中之条駅から運行されているようです。 最近はこのようなローカルなバスもバス会社や町役場のホームページで事前に運行時刻が確認出来るので、時々便利に利用することにしています。
中之条中之条

道なりに行く車道は右へカーブして行きますが、街道は直進です。
この交差点の手前に道しるべを発見、「須川道」は読めるのですが、もう一方は文字が風化して読めませんでした。
中之条中之条

また徐々に上り坂になりお地蔵様がいました。ただひたすら真っ直ぐに歩いていきます。
中之条中之条

橋を渡って2車線の県道と合流します。行沢(なめさわ)集落です。
中之条中之条

行沢の石仏です。
中之条中之条

県道も集落を過ぎて山道に入ると狭い上りになります。
中之条中之条

しばらく上ってSカーブの急坂になるところを左に入るのが旧街道です。左下には薮に埋もれたお堂らしいものが見えるのだが、今は参道も薮に埋もれているようです。今はお参りする人もいないのでしょう。
中之条中之条

橋を渡るとそこは長坂という小さな集落で2〜3戸しか家がありません。一部の家は廃屋のようです。
中之条中之条

民家に入るまでの道はいいのですが、最奧の住宅の脇からは踏み跡もないような廃道状態になってしまいます。
中之条中之条

でも草の下の路面は舗装されているようです。しっかりとガードレールもあります。
しかしコンクリートの橋を渡り木々を掻き分けながら500mほど行くと大きな砂防ダムが出来ており、道は完全に消滅しています。やはり町も利用者の少ない道は付け替え道路も造らないようです。 もう今はダム下までも入る人はいないようです。山の斜面を登ってこのダムを越えようかとも考えたのだが、危険と判断して先程の県道まで戻ることにします。
昭和58年発行の歴史の道調査報告書には、このダムのことは書いてないのでそれ以降に通行出来なくなったようです。
中之条中之条

<平成20年11月>

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