中山道・高崎を行く

高崎宿〜安中境

今日は高崎駅から安中駅の近くまで歩く予定です。JR八高線で高崎には10時前に着きました。
高崎市内は道路工事中が多くなっていました。西口駅前通をまっすぐ行ってまもなくの「あら町」の交差点で横切っているのが旧中山道です。ここを右に曲がって中山道に合流します。 街道沿いは商店街で、クルマも混雑しています。
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本町三丁目の十字路では左に行きます。
その先の本町一丁目の十字路からは道も狭くなり、旧街道らしくなります。ここの十字路を右に行くのは三国街道です。
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緩やかな坂を下ります。坂を下ったところに造り酒屋がありました。
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その先の常盤町十字路を右に入ります。
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街道を行くと国道18号線の立体交差の下に来ました。歩行者はどう行ったらいいのか分かりにくいところだが、豊岡方面の歩行者通路が示されていましたので、その案内通りに行くと現在の君が代橋です。
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そこの近くにこれから渡る「君が代橋」の旧の親柱とその説明がありました。明治天皇が渡ったことによる名称とのことです。
その新しい国道の君が代橋で鳥川を渡ります。右手向こうには榛名山系が綺麗に望めます。
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橋を渡った直ぐ先の信号で右へ入ります。
300mほどで安中方面の標識が出てきますが、ここを行ってはいけません。これは中山道ではなく旧国道なのです。
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旧中山道は少し先のバス停「下豊岡」の先を入るのです。Y字路の真ん中に古い道しるべもあり、「右くさつ道」などと書いてあるのが読めます。
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旧街道は静かな通りです。中山道の標識も出て来ました。
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道端に庚申塔の立つ直ぐ先に茶屋本陣跡があります。
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茶屋本陣は門構えのある大きな民家になっています。現在も住まわれているようです。
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右に道祖神を見るとまもなく国道18号線に合流します。
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国道18号線に合流しました。広い4車線の国道で、前方には雪の浅間山が見えてきました。
道路の南側に「藤塚の一里塚」がありました。塚そのものは小さいのですが、木は結構年数が経っているようです。
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しばらく行くと、右側には橋の改修碑「かねつ橋供養塔」がありました。このあたりで安中市に入ります。
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板鼻宿から安中へ

板鼻宿の手前で道が三分岐になり、左から国道バイパス、旧中山道、旧国道の順に別れます。当然真ん中の旧街道に入ります。
ここでちょうど昼時、旧道に入ったところの食堂で昼食とします。
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30分ほどの昼食休憩で歩き始めると早速石仏が迎えてくれます。
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すぐ先がJR信越線の踏切です。第九中仙道踏切と表示されています。
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板鼻宿に入ってきました。古い家は少しだけしかありませんが、宿場町を感じさせる家並みです。
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宿の中程に本陣跡の標柱が立っています。今は公民館が出来ていました。
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宿を抜けると旧国道と合流して鷹の巣橋で碓氷川を渡ります。上流の方を見ると妙義山系が見えます。かつて街道はどのあたりを渡っていたのでしょうか。
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鷹の巣橋を渡った先で右へ入ります。碓氷川の堤防に行ってみると旧道の旧橋台が両岸に残っていました。旧国道が開通する前はこの橋を渡っていたのでしょう。
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その橋台のところには水防小屋が建っていますが、そこから旧街道が西に向かっているのです。中山道の標識もあります。
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その先は中宿です。大きなみちしるべもあります。左へ行くと大日街道で一宮方面へ行く道です。中山道は真っ直ぐです。 中宿という地名から、かつては宿場のような街だったのでしょうか。両側に碓氷川が控えていることから渡しなどで栄えたところでしょう。
ここは安中駅がすぐのところにあります。安中駅は板鼻宿と安中宿の中間にあるのです。 時刻は現在13時30分で、まだ時間は早いのだが、この先は前回に踏破しているので今日はここまでとします。
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<平成20年2月>

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