中山道・新町から高崎へ

新町宿

新町宿に入ると道脇に「芭蕉の句碑」が立っていました。柳茶屋があったところなのでしょう。
新町内は歩行者用の観光案内標識も結構完備されています。。
新町新町

宿の中程には「明治天皇行在所」の建物が文化財として保存さており、その周囲が公園となっています。
旅籠高瀬屋跡の説明が石碑になっていますが、その立派な碑だけしかありません。
(右の写真はクリックすれば拡大します)
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町並みを抜けて温井川に架かる弁天橋を渡った先で街道は右斜めに入ります。
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静かな旧街道らしい道になって少し行くと白壁土塀と土蔵のある大きな家があります。
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その先で関越高速道の下をくぐります。その手前には中山道の案内標柱が立っています。
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関越道の先で旧街道は烏川の堤防に埋もれているのでしょうか。左の道に行って集落の中を通る道もあるが、どうもそれは街道らしくないのです。
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堤防の上を歩いて行くと烏川の広い河川敷内に下りる道がありました。そして小さな祠があります。1本の桜の木も満開です。
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説明書きを見ると「中山道お伊勢の森」と書いてあります。やはりここを通る道が街道なのでしょう。洪水予防のためにこの辺りは堤防が外側に造られて河川敷になってしまったものと思われます。 でもこうして祠は残されているのです。
祠の前からは堤防の下に消えるように道が延びています。
(左の写真はクリックすれば拡大します)
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一旦堤防上のサイクリングロード行き、すぐに下の車道に下ります。しばらく行ったところの十字路で右に入るのが旧街道でしょう。
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すぐに堤防に突き当たるので堤防に上がります。
この辺りから渡し船で烏川を渡っていたのでしょうか。
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烏川を渡る

現在は少し上流にある柳瀬橋を渡って迂回します。この烏川は結構水量が多く、また河川敷が広いので以前に自分は、この川を利根川だと思い違いしていたことがありました。
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反対側に来ました。
ここの堤防の下から再度街道が延びています。
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坂道を上って信号から先は広い車道となります。かつての国道17号の親鼻の交差点です。街道は直進します。
ここで少しだけ旧道がありますが、ほとんど街道の面影はありません。
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17号線バイパスを横切り、JR高崎線をオーバークロスして進んで行くと右にお堂が見えてきました。このあたりからが倉賀野宿でしょう。
このあたりで1時近くになってお昼を食べたいのだが、群馬上州に入ってからずっとここまでコンビニがありません。もう少しの辛抱です。
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倉賀野から高崎へ

お堂のあるY字路が例幣使街道との合流(分岐)点です。石灯籠もあります。例幣使街道はここから日光に向かう街道であり、近いうちにも歩いてみたいところです。
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倉賀野宿には結構古い家も残されているようです。これは大山邸で、高崎景観賞のマークが付いています。
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軒先にこんな小物もあるのもいい感じです。
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蔵造りの家や石仏もあります。
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このスーパーのところに本陣があったようです。
そういえばもう午後2時、ここでやっと昼食にありつけました。
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これは立場跡のようです。「中仙道倉賀野宿・中町御傳馬人馬継立場跡」と書いてあります。
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ここは脇本陣です。
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その先、高札場跡。さらに安楽寺の桜も綺麗です。
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倉賀野宿を抜けて坦々とした旧国道17号である中山道を行きます。
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高架の国道バイパスの下を通り、さらに新幹線の高架橋の下をくぐって市内に入ると電柱の無いすっきりとした町並みが続きます。
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上信電鉄の踏切を渡ります。
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ビルが建て混むようになって高崎の中心部に入って行くとまもなく「あら町」の交差点で、高崎駅前となります。
この先は4年前に踏破したところです。
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時刻は3時半です。高崎駅からJR高崎線に乗って本庄まで戻ります。
<平成24年4月>

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