いよいよ小坂坂峠越えになります。山越えはきついですが、変化が豊富で楽しめます。
※掲載地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分の1地形図を複製したものです。
(承認番号 平19総複、第475号)
- 千平から小坂坂峠へ
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千平駅前を通ってまっすぐ行くとまもなく踏切があります。この踏切を渡ります。
踏切脇にはありがたい街道の案内標識が立てられています。
道祖神があります。踏切から200m程行くと左に入る細道があります。これが旧街道で、標識もあってわかりやすいです。
民家の庭先のような所を通り抜けると小さなコンクリート橋を渡り、その先は良い感じの草道の上り坂が続いています。
足跡は付いて無いのですが、地元の人により草刈りが行われているようで歩きやすく、いかにも旧街道という感じの道です。
十字路で舗装の車道と交差すると、まもなく農地と山林との境で、胸の高さくらいの草道になりますが、それも少しだけで直ぐに歩きやすい道になります。
「切通」と書いた標識があり、短い切通しをぬけるとその先は少し下り坂の細道になります。
まもなく車道と合流します。
車道を少し行ったところにわかりにくい案内標識が2組4枚立っていました。
左を指している標識が「赤津」と「上野鉄道大谷川鉄橋」とあり、車道と並行に向いているのが「小坂坂峠道」と「下仁田街道」となっています。
ですから車道を行きますが、実際は左斜めに入る草道が旧街道のようでした。(車道を少し先に行ってわかったのです)
帰宅後に調べてわかったのですが、大谷川鉄橋とは現上信電鉄の鉄橋の脇に残る古い鉄橋で、文化財に登録されているようです。見に行けば良かったが、雑草の深い道で足跡も見えない道なのでやめました。
車道を少し行くと下仁田町の標識がありました。境界は峠では無く、こんなところにあるのですね。
そして、そこから左下を見ると旧道らしき道が見えたのです。
足跡を辿ってその道に下りると、草道が続いていました。
少し行くと「豊後の小滝」、さらにその先には「豊後の滝」の由来の説明も書いてあります。谷を覗いて見るとちょっと流量が少ない滝です。
昔、行者が滝修行をしたとの由来が説明してあります。
その先、車道ののり面の下を通って行くと、仮橋のような新しい橋を渡ります。この旧道は最近になって整備されたのかも知れません。
杉林の中に入って進んでいくと、石仏群がありました。山伏の供養塔もあります。
坂道も急坂になり、「刀洗いの池」なるところに少し水が湧いています。
その先、道が2つに分かれますが、すぐに合流します。かつて何かのいざこざがあって分道されたとのことです。
市衛門坂という説明もあります。この地に商売に来た名主が恨みをかって、ここで殺されたそうです。
落ち葉を踏みながら坂を上っていくと石仏群です。
石の上のお地蔵さんは頭の部分が修復されていました。休石というベンチのように使われた石があります。
自然石を使った句碑もあります。
小坂坂峠に着きました。岩を削った狭い切通しになっています。標高は350mくらいでしょうか。
- 小坂坂峠から下仁田へ
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切通しの先から赤津集落へ行く道が分かれており、新しい道しるべも立てられています。
峠の下りも杉林の中です。ヘアピンカーブを繰り返しながら下ります。
まもなく車道が見えて来て合流します。
旧街道入口の説明板も立てられています。
車道のトンネル出口もすぐそこに見えます。
あとは緩やかな車道を下って行きます。
下りきって国道の手前に「伊勢山の百庚申」があります。山の斜面に数え切れないほどの庚申塔が立てられています。
(右の写真はクリックすれば拡大します)
信号機は国道254号です。右は内山峠や和見峠を越えて信州に抜けます。
もうここは下仁田の町です。時刻は15:15になりました。
その信号の変形十字路を横切って町に入れば下仁田の商店街通りです。古い家も少々残っており昔の面影も感じられます。
下仁田駅は商店街から少し入ったところにあります。ここから30分間隔で走る上信電鉄15:52発に乗って帰途につきます。
<平成19年6月>
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