- 松代宿〜菅刈
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松代の街を抜けていきます。「天地人」の旗も立っています。
道の駅と共用になっている「ほくほく線」のまつだい駅はここから徒歩3分くらいのところにあります。
ところでこの鉄道線の建設にあたっては、南ルート(松之山温泉経由)にするか北ルート(この松代経由)にするかで話し合いが相当もめたようです。このため、この線は北越急行北線(ほくほく線)という名称なのですね。南線の建設のめどは立っていません。
街の出口で左に入ります。時刻は丁度13時です。
100mほど行った右側に松之山街道の案内板があり、そこの斜面を上がっていくと旧街道です。
ここから先の旧街道が文化庁の「歴史の道百選」として指定されています。しかし登り口の階段には草が生えており、ここを歩く人は少ないようです。
(右の写真はクリックすれば拡大します)
雪崩防止柵があるノリ面を上って行くと感じの良い街道になります。ブナ林の落ち葉が堆積している道です。
熊越山の中腹を行く街道は歩きやすく、まもなく前方が開けて大平(おおひら)集落に出ます。
車道を横切り、街道の案内柱の前を斜め左方向に行くと雑草の道を下り、田んぼの畦道を行くようになります。
その先の民家の裏を下った突き当たりの車道を左に行きます。
大平集落を抜けたところで左前方の山を越える街道があるはずなのであるが、入口がわかりません。もう通行不能になっているのかも知れませんので車道を行って次の集落である菅刈へ向かいます。
菅刈集落の逆ト字路に街道の案内柱が立っており、そこを左に行きます。ここは街道としては本来の街道では無く、この車道が現在の街道(ハイキング道)に指定されているようです。
200mほど行ったところの十字路で横切る道が旧街道です。ここから再度オンコースです。
集落の中を菅刈神社に向かって上っていきます。
神社の入口には石仏と街道案内柱があって道筋を確認します。
しばらく行くと、峠のY字路の先に案内板が立っているのが見えました。この峠の標高は地図によると288mのようですが、峠名は不明です。
- 犬伏宿へ
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案内板のところからは少しだけ石畳の道になっています。
(右の写真はクリックすれば拡大します)
平坦な歩きやすい尾根道を行くと、左に山道を分けるところに石仏の道標があり、文字はどうも読みにくいが資料によると「右つまりみち・左松苧山みち」と刻まれているようです。
木々の切れ目からは棚田などの風景が見え隠れしています。
藤の花が満開で綺麗です。
おっと、ちょっと草が深いところがあります。北側には崖の山(松苧山?)が見えます。
林道に合流します。ここにも街道案内柱があり、安心して歩けます。
変わらずに平坦な道ですが、この辺り石仏などはまったく見あたりません、人里からは離れているので手入れをする人も無くて、土砂に流されたりして埋もれてしまっているのかも知れません。
左に大きな平たい石が3つあります。この街道沿いには他にベンチが無いので休憩に良いでしょう。
その先、高圧鉄塔の下をくぐります。ここは尾根の頂上でもあり芝生になっていて、標高は350mほどですが展望も良く開けています。少々風景を楽しみます。
西方向を見ると、今歩いてきた方向(菅刈と大平集落)が見え、南方向を見ると上越国境の雪山が遠望できます。眼下の谷を走っているのは国道253号です。
一休みの後、尾根を下っていくと「石の花立」というものがありました。これはここから北方向に松苧(まつお)神社が見える位置ということから、花を供えてお参りする場所ということらしいですが、今は木々が茂って神社を望むことは出来ませんでした。
(右の写真はクリックすれば拡大します)
ポストがあり、その中には犬伏城跡の観光案内が入っていました。地元の人たちのなかなか良い気配りです。
でも今日は街道歩きなので、城跡頂上には行かずに南側を回るように下っていきます。
道端に井戸跡のような穴がありました。
その先、文化14年12月、会沢村から犬伏村へ向かう花嫁一行が、到着目前にして雪崩に遭遇し花嫁ほか6名が亡くなったことを供養する石仏が立っています。
さらに下っていくと、急に胸までつかる深い草道になるが、そこを過ぎると犬伏城の東側登り口と合流します。
まもなく犬伏集落が見えてきました。
車道に突き当たって左が集落です。街道の案内板もあります。
(右の写真はクリックすれば拡大します)
かつて戦国時代はこの犬伏集落は館だったところのようです。今の集落は新しい住宅だけになっています。
集落の中程に高札場が再現されていました。(写真をクリックすると拡大します)
宿の出口にジュースの自販機がありましたので、のどを潤しながら少し休憩します。時刻はただ今15:15分です。
<平成21年5月>
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