中山道・熊谷から深谷

熊谷を出て北へ

今日は熊谷から本庄まで歩きます。JR高崎線熊谷駅北口を午前7時に出発です。
駅前通りを300mほど行くと今は国道17号線になった中山道へ出ます。
熊谷熊谷

国道になって拡幅された中山道は古い昔の面影はまったくありません。旧中仙道の街道はここから前方に見える八木橋百貨店の中を通り抜けて行きます。 すぐ先の歩道と車道の間に「本陣跡」の石碑が立てられています。
熊谷熊谷

その百貨店の東側入口前には中山道跡の碑が立っています。碑の裏側には中山道の説明と、ここから南に石尊街道(鎌倉街道)が分岐する、と書いてあります。
西側の入口前に行って西側を見ると旧街道は一番街という商店街になって先に続いています。Y字路になっている右の道である。最初に左側の道に行こうとしていたら犬の散歩の年配の人に街道歩きなら右の道ですよ、と言われてしまいました。 ゆるいSカーブになっているので、当時は枡形(クランク型)になっていた場所かもしれません。
熊谷熊谷

静かな旧道も少しだけですぐに国道に合流してしまいます。
国道になった中山道を500mくらい進んだところで左右に緑道が交差するが、これは昭和58年に廃止になった東武熊谷線の廃線跡だ。熊谷駅と妻沼間を気動車が走っていたところだ。
熊谷熊谷

熊谷警察前で国道140号線を横切ります。この交差点は警察官が出て交通整理をしており、私一人が青信号で横断するのをサポートしてくれました。朝のクルマのラッシュ時間ですが歩行者は少ないのです。
その先500mほど行ったところで旧道は左斜めに分岐します。
熊谷熊谷

旧道に入ってからまもなく右側に埼玉県内では数少ない一里塚が現存していました。これは「新島の一里塚」で大木は300年を超えるけやきだが、上のほうは切られてしまっています。 一里塚はもともとは対であったものだが西側のはもう残っていませんでした。
熊谷熊谷

その先には「忍領石標」というものがありました。これは藩の境界を示すために立てられたもののようで、明治維新で全廃されたがここのがたまたま発見されて残されたようです。
住宅もまばらになって西側が開けた風景が見られるようになります。新幹線の高架橋や秩父の山々が見えます。
熊谷熊谷

しばらくするとまた国道に合流します。
熊谷熊谷

その国道も100mほど行けば、街道は右に分岐します。
熊谷熊谷

国道から別れたこの辺は道端に用水路や白壁の家もあり、なかなか旧街道の雰囲気を残しているところです。
熊谷熊谷

石仏も手厚く保存されているが、説明が無いので詳しいことはわかりません。
熊谷熊谷

道路も改良されて歩道も広くなってきました。
熊谷熊谷

明治天皇の御小休止所跡の石碑です。明治初期に天皇が全国巡幸した時に休憩した場所ですね。街道歩きをすると各所に同様な碑を見ることがあります。
熊谷熊谷

時間は9時、出発してから2時間たちました。このあたりはもう深谷に入ったようです。
深谷深谷

深谷宿に入る

深谷の宿に向けて坦々と歩きます。
深谷深谷

常夜灯があります。
この付近の旧街道沿いにはいくつかの大型スーパーがあります。この付近の街道沿いには休憩所や公衆トイレは無いので利用させてもらうといいでしょう。ついでに食いそびれないように昼食を買いました。
深谷深谷

その先で国道と斜めに交差します。角には「見返りの松」があったのだが最近になって枯れてしまったようです。現在は新しい松が植えてあります。
深谷深谷

サイクリング道が交差するところに常夜灯です。このサイクリング道は深谷駅とレンガ工場を結んでいた日本煉瓦専用線の廃線跡です。昭和50年に廃止になっています。その煉瓦は東京駅の煉瓦に使われていたとのことで、新しい深谷駅もレンガ造りになっています。
深谷深谷

門が二重になった洋館があり、深谷の商店街に入ってきました。
深谷深谷

本陣跡の碑があります。建物こそ残っていないが碑と説明板があるのはかつて宿場として栄えた証である。
深谷深谷

古い商家が現役でお店を営業しています。
深谷深谷

深谷駅への入口を過ぎて少し行くと、緩いSカーブになったところに石灯籠がありここが枡形だったようです。
まもなく深谷の宿を抜けます。
深谷深谷

<平成23年11月>

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