- 旧加子母村
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加子母地区を行きます。。中津川を出てからずっと国道257号沿いを歩いています。国道もこの南北街道も山と山の間の谷間の南北に長い集落を辿っているのです。
先ほどの賽の神峠までは付知川沿いでしたが、ここからは白川(加子母川)沿いを遡って行くのです。付知川と白川はいずれは木曽川で合流するのです。
ここは万賀集落で、ほぼ平坦な道を行きます。
下桑原集落に入ると道は突き当たりで右に行って、またすぐに左に曲がります。やはり耕地整理で曲げられてしまったのでしょう。この近くに農村舞台の「明治座」という有形民族文化財があるようで、看板が立っていました。
左側は見晴らしが開けているので、歩いていても風景を楽しみながらで飽きることはありません。
中桑原に入ると大きな石灯籠と石仏があり、その先に門構えの桑原氏の住宅があります。土蔵や土塀も立派なものです。
その先まもなくで旧国道に合流します。
左には古そうな家が1軒、右には石仏群を見ながら北上します。
その先で現国道に合流し、すぐ左側を白川が流れるようになります。
白川の堤防沿いの桜はまだ開花していません。中津川では満開でしたがここは標高が高いから季節が少しずれているようです。(標高は550mほど)
かつての街道はこの辺りで白川を渡って右岸に渡っていたようですが、今はその形跡はわかりません。すぐ上流にある橋を渡って国道とは別れます。
橋を渡った先の突き当たりの道が旧街道でしょう。右へ行きます。
「尾張藩二渡御番所跡」の石碑と説明があります。
(右の写真をクリックすると説明書きが拡大されます)
道も広くなってしばらく行った先の大きな木材工場の先で右の旧街道に入ります。
小和知の集落に入りました。
民家に突き当たってしまうが、その民家の脇をすぐ右に行くと小和知の街通り(旧国道)に出ました。
石仏群の先で現国道に合流します。
小和知のバス停がありました。その少し先で右に入ります。国道の道幅は広く、結構クルマのスピードは出ているようです。歩行者はすぐ手前の地下道をくぐって横断します。
これは旧国道でしょうか。少し先の右に小学校跡があります。このあたりから峠までの街道は消滅しているようです。
グランドの入口に加子母小学校と表示された門柱が残されています。校舎はありませんが、グランドはそのまま使われているようです。
田んぼの中に出るとこれから越える舞台峠方面が見えます。ここから峠までの標高差はそれほど無いようです。
地図にも記載のある「加子母の大杉」が見えました。その大杉地蔵尊の前を通って舞台峠に向かいます。このあたりは小郷という集落です。
峠の近くで左から上ってくる旧街道のように思える砂利道がありました。
その先すぐが大きな切り通しになった舞台峠だが道路の改良によりこの先も旧街道はしばらく消滅しているようです。
峠の標高は700mくらいでしょう。すぐ下の小郷集落とは10m位しか標高差が無いのです。この峠が美濃(中津川市)と飛騨(下呂市)の境界だが、峠の標識は見あたりません。ここからいよいよ飛騨国に入ることになります。
<平成21年4月>
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