美濃から飛騨高山へ通じる街道はいくつかあるが、今回は金山町飛騨川の左岸から下呂への峠越えになる街道だったところを歩いてみました。この街道は飛騨川沿いに行く益田街道が開削されてからは寂れてしまった道のようです。
- 金山から飛騨川沿いに北へ
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前夜は下呂温泉に泊まり、JR高山本線下呂駅発6:29の岐阜行きで朝早い7時前に飛騨金山駅に降り立ちます。
金山駅前は静かな田舎の駅です。駅が出来る前からこの駅前通が街道だったのかも知れません。
街道は金山駅の構内を横切って飛騨川沿いに北へ向かっていたと言うことなので、北側の踏切を渡った先からが街道でしょう。
高校生を乗せた下呂方面行きの気動車が駅を発車して去っていきました。
高山本線の線路と並行して街道が続きます。
木の根本に石仏がありました。文字がよく読めないがたぶん馬頭観音でしょう。
線路の向こうは飛騨川をせき止めたダム湖で、その向こうには国道41号線(益田街道)が走っているのです。
その先で踏切を渡ります。
線路はトンネルに入りますが、街道はトンネル外側の急斜面を行きます。
トンネルを出た線路を踏切で渡る手前に石仏です。
ダム湖の景色も綺麗です。
その先には山側に2体の石仏がありました。
中津原集落に入ります。ちょっとした宿場の雰囲気があります。
下原八幡神社の前を過ぎて少し行くと、福来番所屋敷が保存されています。
説明板を見ると「益田川」と書いてあるが、これは現在の飛騨川のことのようです。
(左の写真はクリックすれば拡大します)
その先、道路脇に綱株岩と船橋跡という説明があるが、川には近づけないようですし、竹藪があって岩も川面も見えませんが、説明図があるので理解はできます。
かつてはこのような筏のような橋で対岸に渡っていたのですね。
その先のY字路で飛騨川と線路とは別れて支流沿いに峠に向かって東進することになります。
- 火打峠へ
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今日は4つの峠を越えるのですが、この先まず一つ目の火打峠越えです。
名前の付いた石仏群があります。
緩い上り坂の街道を道なりに行くと、民家の脇に番所跡の表示がありました。今は畑になっています。
結構この辺りの道端には石仏が残されています。やはり道路などの改良が行われていないから残されているのでしょう。
山間いの集落をいくつか抜けていきますが、あまり古い家は無いようです。
石仏を横に見ながら進んでいきます。
クルマはほとんど通りませんし、人の姿も見えません。
集落の中に綺麗に整備された石仏群があります。
いよいよ山道にかかってきました。右側に「ぎふ棚田21選」とか「猪垣」と書いてある標柱があるが、綱が張ってあります。
進む車道は火打林道と表示されているので元々の街道では無さそうですが、これ以外に峠に行く道は無さそうです。
峠道ですから少し勾配がきつくなります。
しばらく曲がりくねった道を行くと今歩いて来た道の方向が見下ろせるところがありました。
火打峠に着きました。時刻は9時半です、金山駅から2時間半ほどかかりました。峠の標高は地図から読むと580mくらいでしょう。
左から合流している通行止めの林道があり、これが旧街道の一部のようにも見えるのだが。。。
峠の切り通しの上の左右に1体づつ石仏があります。
ここで少し休憩します。
<平成22年6月>
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