甲州街道を行く・11

猿橋から大月へ

中央線の猿橋駅には9時20分に着きました。 1ヶ月前には上野原からここ猿橋駅まで歩きました。今日はここから笹子駅までの予定で歩きます。
ちょっと淋しい駅前通りですが、すぐに国道20号線に突き当たります。
大月大月

国道20号線は相変わらず交通量が多く、あまり歩きたくない道です。でも左に石仏を見てカーブの先で旧街道が右に別れます。
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右を見ると桂川の向こうに岩殿山が見えます。中央道はその山の中をトンネルで貫いています。
クルマのほとんど来ない旧街道は歩くのが一番楽しいです。そして古いものを発見するのです。
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道の左右に石仏がありました。石仏には文字が何も書いてありません、歳月により消えてしまったのでしょうか。
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その先、駒橋水力発電所の水管橋の先で左に上がります。
上がったところは中央線の線路で、「第五甲州街道」と表示された歩行者専用の踏切を渡ります。
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ちょうど下りの115系普通電車が通過して行きました。電車の奥に見えるのは発電所の水管です。
すぐに国道に合流しますが、10mほどでまた右に別れます。
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石灯籠(秋葉常夜燈)がありました。そばに玉石の道祖神もありますが、本体は無くなってしまったのでしょうか。
また国道に合流します。
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国道沿いですが、数軒の古い旅籠風の家があります。この辺が駒橋宿だったところでしょう。
クルマは渋滞中です。
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少し行くとまた右に入ります。
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カーブしながら県道の陸橋をくぐって道なりに行くと、商店街に入ります。ここらあたりからが大月宿なのでしょう。商店や住宅が密集しているが古い家はあまり残っていないようです。 駒場宿からは1Kmくらいで近いです。
十字路に出て右を見ると大月駅でした。 駅構内のレストランで早お昼としましょう。このレストランは駅の改札内からも外からも入れるようになっています。
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大月から初狩宿まで

駅前の十字路を西進するとまもなく市役所前で国道に合流です。信号機には大月2丁目と表示されています。
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200mほど行くと国道は桂川を大きな大月橋で渡ります。かつてはその橋の手前がT字路となっていて、甲州街道は右に行っていたようですが、今はその道はありません。左へ行くのは昔も今(国道139号線)も富士山道です。 その古い石の道しるべや石灯籠が立っています。
この手前の国道の下には富士急行の上大月駅があります。
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旧街道はこの大月橋の下流、桂川が笹子川と合流する付近を渡っていたようです。大月側の道はもう無い(今は住宅、鉄道、学校などが建っている)ようだが、笹子側にはそれらしき道がありました。
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その旧街道もまた国道に合流します。
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その先の国道脇には石碑と石仏群があり、一里塚跡のミニ公園となっています。
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その少し先、歩道のタイル石に写真のような絵が描かれています。花咲下宿です。
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明治天皇休止所の碑がある本陣です。正面からだと全体が写真に入り切りません。
下宿を出ると大月インターの入口を通過します。
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インター入口の先のここが花咲上宿でしょうか。右に入る旧道らしきところに行ってみます。
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その旧道脇には相当な数の石仏群があります。右側には二十三夜塔があります。しかし、道は民家の庭先で行き止まりのような感じになってしまいます。 民家の前を通らせてもらって国道に戻ります。
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中央道の富士吉田線をくぐって国道を進みます。
さらに大月警察署前を過ぎて行くと国道は笹子川を橋で渡りますが、街道はその橋の手前で左に曲がって川沿いに行くのです。 しかし、その道は無く中央線の線路で分断されています。そのため橋の100mほど手前のガードをくぐり、線路の南側に出ます。
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線路の側道を行って見ると、今は用水路が敷設されている旧街道らしき道型があるのです。
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最初のうちはまあ歩きやすいのですが、その先では道というよりも足跡を辿りますが、行き止まりになります。 用水路はトンネルで通過させているのです。
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おそらく山が崩れてこうなってしまっているのでしょう。ここからは笹子川の岩の河川敷に下りて迂回します。 急な斜面を下りるところにはロープが付けてあります。水路の保守作業者か魚釣りの人が通るのかも知れません。
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水路橋の下をくぐった先で上に上がって水路沿いに行きます。
右の写真は振り返って見た風景で、中央線の鉄橋が見えます。
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ここまで来れば一安心です。街道は先へ続いています。
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しばらく行くと、道路に鎖がかかっており、向こう側から見ると「通行禁止」と書いてありました。
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右下を中央線が走っており、十字路に出ました。採石場のトラック道路が横切っているのです。
中央線の線路沿いにまっすぐ行きます。特急電車(かいじ号?)が新宿方面へ向かって行きました。
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街道はこの辺りから左へ上って行くらしいのですが(歴史の道調査報告書の地図によると)、採石場の中に入ってしまうみたいなので線路の側道をまっすぐ行きます。
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採石場の西側から逆行して、採石工場の入口まで行ってみると石仏群がありました。 右の写真は採石工場を背にして笹子方向を見たものです。
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また石仏群があって、ちょっとした集落を通過します。
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踏切には「第七甲州街道踏切」と表示がしてあります。猿橋・駒橋宿間にあった踏切が第五でしたから、第六はどこだったのだろうか。
踏切の先ある「聖護院道興の歌碑」が大月市の文化財に指定されています。まもなく国道に合流して初狩宿に入ります。
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<平成19年3月>

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