青柳から茅野へ

金沢宿から先へ

茅野から一駅戻った昨日の青柳駅に降ります。駅は無人ですが、立派な待合室のある駅舎です。8時前の駅だが数人の客が乗降するが、駅前はすぐに静かになります。
金沢宿へは徒歩で約10分、下りの貨物列車が茅野方面へ下っていきました。
茅野茅野

金沢宿内の国道20号線はバイパスが無いのでクルマの通りが多いです。りっぱな土蔵も目立ちます。
茅野茅野

本陣跡には説明板と明治天皇の碑(明治天皇金澤行在所跡)が立てられています。
(左の写真はクリックすれば拡大します)
茅野茅野

馬宿であったと言われているお宅の前には穴の開いた「馬繋ぎ石」がそのままに保存されています。何の説明書きも無いのですが、参考文献からそれとわかります。
茅野茅野

宿の出口は右にカーブしますが、ここはかつて枡形であり、道筋はちょっと消えているようです。
カーブした先の橋の右側に石仏群がありますが、旧橋はここに架かっていたようです。
茅野茅野

旧橋の先は住宅地の中で直角に左に曲がり、その先で現国道に合流します。
茅野茅野

国道も宿内では狭かった歩道も郊外では広くなりました。
少し行ったところで川を隔てた向こう側に塚が見え、説明板も立っているのが見えます。多分これが一里塚でしょう。
茅野茅野

道の左側に石灯籠を見て木舟集落に入りました。
茅野茅野

家並みが途切れる手前の横断歩道のあるところを右にヘアピンカーブで上っていきます。
カーブの所に石造物があります。
茅野茅野

すぐにJR中央線の線路の上を越えてその線路沿いに入っていきます。静かで旧街道らしくなってきます。
茅野茅野

傍らに大きな石仏もあります。
中央線の特急列車が新宿に向かって走っていきます。時刻から見ると「あずさ8号」でしょう。その向こうには中央アルプスが見えます。
茅野茅野

県道の十字路に出ますので左に行きます。手前のコンクリート橋には早川橋と表示があります。
茅野茅野

県道を進んでいくと中央線のガードをくぐって線路の築堤の下を行きますが、このあたりは鉄道建設により街道は消失しているようです。街道はこの線路付近を行っていたようです。
まもなく国道に突き当たります。ここからはまた国道を行くしかありません。
茅野茅野

その角には石仏群がありました。
茅野茅野

狭い国道の歩道をクルマに注意しながら行きます。少し行くと前方が開けて中央道の高架橋が見えてきました。
茅野茅野

中央道をくぐった先で右に入ってみると、中央線をくぐった先の畑の隅に文字で「生・水・長」と彫られた道祖神がありました。
線路沿いに行く道がありますが、街道はこのあたりで今の国道へ出ていたようです。一里塚もこのあたりにあったようです。
茅野茅野

線路沿いに進んで次の交差点を左に曲がって国道に出ます。
国道はそこでバイパスと旧道が別れており、街道は旧道に入って茅野の街に入ります。
茅野茅野

茅野

ここにも明治天皇小休止跡の碑がありました。明治13年、茅野は宿場では無かったので本陣は無く、ここの五味邸で約1時間の休憩をしたようです。 しかし、茅野は今では大きな街なのに、かつては宿場町では無かったのですね。諏訪に近かったからでしょうか。
その先で上川を渡ります。上流方向に見える山並みは蓼科方面の山でしょうか。
茅野茅野

まもなく左に鳥居のある茅野駅前を通過します。
その先のY字路は左です。やはり茅野は宿場では無かったためか古い家は少ないようです。
茅野茅野

そしてまた国道20号線と合流です。写真のように歩道が無くて側溝蓋の上を歩きます。ここからしばらくは国道バイパスが無いのです。
茅野茅野

しばらく行くと小さな郵便局の標識があり、ここを右に入るのが街道です。ここは信号機も無くて解りにくいところだが、左にある大きな工場が目印になるでしょう。 その角には甲州街道の標柱も立てられています。
茅野茅野

細道になった街道は中央線の下をくぐり、左へカーブすると右から来る旧街道である大門道と合流します。その角には大きな石造物が立っています。
2万5千分の1地形図を見ると、このすぐ先が茅野市と諏訪市の境界のようですが、旧道には境界標識がありません。
街道歩きはさらに続きます。
茅野茅野


<平成20年11月>

次へ


Copyright (C) 2009 JA1KLB
inserted by FC2 system