西吾野

飯能市坂石〜正丸駅

秩父往還の未踏破部分はあと正丸駅までです。がんばって歩きます。
ここは坂石の宿です。古い家並みも少しだけあり、最近になってからバイパス道路が出来たのでクルマも少なく静かです。
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民家の車庫の脇に自然石で出来た道しるべが立てかけてありました。「左ねのごんげん道・寺迄四拾八丁」と書いてあるようです。
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すぐ先が法光寺と吾野駅の入口です。
時刻も丁度12時を過ぎたので、駅前の食堂で昼食にします。
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12時30分、法光寺と西武線の間の細い道を辿りますが、旧街道かどうかは定かではないようです。
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再度旧国道に出て、その先の採石工場と旧国道の間の旧街道に入ります。この道は「関東ふれあいの道(吾野駅−正丸駅)」として道標などが整備されています。
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西武線の上を越えて山の斜面に出ると、街道らしい良い感じの道を行くようになります。線路が見下ろせて、鉄道写真を撮るにも良さそうなところです。
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切り通しを抜けて杉林の中の下り坂を行くと、まもなく集落に出て諏訪神社の前に出ます。石垣のところに井戸だったと思われる遺構がありました。
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高麗川に架かる芳延橋を渡り、左岸の国道に出ます。しかし旧街道はもう少し上流を渡っていたようです。
国道を歩いて行くと、旧街道はこの民家と高麗川の間を入るようです。
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これでは民家に断りなしでは入れないでしょう。国道から民家の先に行ってみると、旧道の石橋が二重になって架かっていました。かっての旧道は下の低い石橋だったのです。 ちょうど、その民家のおばあちゃんが出てきましたので、話を聞きました。旧街道は払い下げにはなっていないが、庭のように使っているとのことでした。 その先の道は消えていました。
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国道299号線です。今の国道は民家の裏を貫いているが、かっての街道は民家の前の川沿いを通っていたようです。
西武線の下をくぐると、その先で対岸に渡っていたようですが、今は渡れません。国道は急峻な左岸を川沿いにカーブしながら行きます。
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国道をしばらく行くと、県指定天然記念物の「大モミの木」の跡がありました。枯れてしまったようで、枯れた根と柵だけが残っていました。そのすぐ先で再度渡河しますが、今は立派な橋を渡ります。
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新しい橋を渡って温泉施設である「奥武蔵あじさい館」の脇を通って行くと、また渡河で左岸に出ます。
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なかなかいい感じの古い家もあります。三社集落です。国道への合流点には石仏群がありました。
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国道を行き、西武線のガード下で右側に行くのが旧街道みたいですが、すぐ先で行き止まりです。このあたりは西武線の敷設で旧街道は消えているようです。
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その先、国道から50mほど川沿いに入ったところにお地蔵様と、旧橋の跡が確認できました。旧街道は途切れ途切れになるようです。
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さらにその先では、国道に切り取られてしまっています。そして石垣に石仏?が埋め込まれたようなものが2箇所ありました。 これについて何なのか飯能市教育委員会に写真を送って問い合わせるが、調査するとの回答はあったもののその結果の連絡はまだ無い。
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畑井の集落で旧道に入ります。石仏がお堂の中に祀られていました。
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集落内で高麗川を渡る橋が左に分かれるが、そのたもとには道しるべがありました。「子の山南川登山口・右正丸峠秩父三峯山道」などと読めます。 本来の旧街道は橋を渡った先を右に入って右岸を行くようだが、その道は民家のところで消えているようです。
現在の旧道を行くと、国道に合流する手前に出て来る旧街道がありました。逆に辿ってみるが100mほどで行き止まりになっていました。
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正蔵院の下を過ぎると国道に合流です。
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国道の改良により、旧道の面影は無くなっています。
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まもなく左に入ると正丸駅です。この駅付近も築堤の埋め立てなどで旧街道は消えているようです。
正丸駅から16:24発の飯能行きに乗って帰途につきます。
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<平成18年3月>

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