1年前の春に海野宿まで歩いた善光寺街道の続きを、田中駅から再スタートして長野方面に向かうことにします。
- 田中宿〜大屋駅前まで
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しなの鉄道の田中駅には10時過ぎに着きました。駅前すぐのところが田中宿の枡形だったところなのだが、最近になって道路が改良されて広い十字路になってしまいました。
もうクランク型に曲がらなくてもいいようになったのですが、古い街並みは無くなってしまいました。
枡形を抜けて15分ほど信濃鉄道と並行して歩くと、踏切を渡れば海野宿に入ります。海野は田中宿の水害により途中から引き継いだ宿場町とのことです。だからこんなに近い宿なのですね。
大きな御神木のある白鳥神社の森を回り込むようにして宿に入ります。団体の観光客も見学に来ていました。
明治時代からは養蚕で栄えてりっぱな家が多いようです。
海野宿はいつ来ても良い雰囲気です。たしか何年か前に保存地区に指定されてから電柱を移動したりして整備されたのです。
水路が中央を流れて、その左側が柳並木と歩行者用の通路になっています。うだつのある家が多くあるこの宿場町、良く残されたのはやはり駅が出来なかったからでしょうか。
宿内には資料館などもあるのだが、先を急ぐことにします。
宿を抜けても古い家は点々と残り、水路も続いています。
左には千曲川の流れが見えてきます。
まもなく大屋の街に入りますが、商店街はシャッターを下ろした店が多いです。ここは元々宿場では無かったようだが、駅が出来てから栄えたのでしょう。交差点のすぐ右側に大屋駅があります。
そうそう、少し前までは上田からこの町を経由して丸子町まで電車も走っていたのです。
ここで11時を回りました。この先は食事の出来るところは上田市内までは無いでしょうから、駅前ののれんの出ている食事処で少し早い昼食とします。
- 大屋〜上田まで
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30分ほどの食事休憩でまた歩き始めます。
駅前の信号で左から合流して来るのは中山道や甲州街道(茅野)とを繋げる国道152号線です。この先国道は右にカーブしてしなの鉄道の陸橋を渡るのだが、旧街道は100mほど先で左に入ります。
住宅地の中を進んでいくと左に田んぼが広がり、良い風景です。その先の桜並木の先で左に入ります。
静かな岩下集落の中に明治天皇小休止所跡の碑が立っていました。
また千曲川が左に寄ってきます。この右の方に信濃国分寺跡があるようです。
堤防の上には祠が建っています。水の神でしょうか。
前方に見えてきたのは長野新幹線の千曲川橋梁です。ここを右に入ります。
大きな門と塀のあるお屋敷がありました。かつて上田宿の本陣であった柳沢家がここに越してきたのだそうです。
その先で街道は新幹線に突き当たってしまいます。新幹線の建設で街道は消えたようです。
新幹線の側道を行くと信号機の手前で再び街道に合流します。この先あたりから上田の市街地です。
麹屋(かうじや)の看板のある屋敷がありました。「信州みそ」の麹なのでしょう。
さらに街道は道なりに国道141号線を斜めに横断してしばらく行くと枡形で突き当たり、右に行けばすぐに信大入口で左に入ります。
このあたりからが上田宿だったのでしょう。
時刻はここで1時を回りましたが、さらに西に進みます。
<平成18年9月>
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