善光寺街道(北国街道)その5

坂木宿から戸倉へ

昼食後、さらに西へ向かいます。
突き当たりを右に行くと緩やかな上り坂の通りになり、右側に「明治天皇小休止所跡」の本陣がありました。 ここは一般に公開されています。
坂城坂城

さらにその先右側には大きく「さかた」と屋号が書かれた商家もありました。このあたりには間口の広い商家がいくつか残っています。
少し行って、橋を渡った先の神社の参道の十字路を左に曲がります。前方の山は葛尾城址です。
坂城坂城

広い静かな通りになり、ここは枡形でしょう、左に曲がりその先常夜灯のあるところを右に行き、坂木宿を後にします。
坂城坂城

住宅街を抜けようとするところに「旧北国街道横吹道跡」の説明書きが立っていました。しかし、どこが横吹道の跡なのかはわかりませんでした。 今はもう分かりにくくなってしまっているのでしょう。
坂城坂城

車道を行くと「しなの鉄道」の下をくぐり、その先で国道に合流するが、旧街道はこのあたりの山の中腹を行っていたのでしょう。
坂城坂城

国道の歩道を歩いて山の裾を抜けたところに「笄(こうがい)の渡し」といういわれが書かれています。 石碑もありました。
坂城坂城

その先で千曲市に入り、右の旧道は踏切を渡ります。踏切の名称はどうしてか「岩崎街道」となっているようです。
坂城坂城

「上戸倉宿本陣跡」の説明書きは立てられていますが、あまり宿場らしくはありません。
坂城坂城

でも街道沿いには数軒の大きな屋敷があります。
坂城坂城

再度踏切を渡ると国道を斜めに横断する形で消防署の前を通ります。消防署の前には木造の灯篭が立てられています。
その先に道しるべがありますが、文字は消えていて読めません。
坂城坂城

旧道もまた国道に合流します。
しばらく行くと戸倉駅の入口の信号の左側に大きな藁葺き屋根の坂井醸造が今も営業しており、展示館にもなっているようです。
ここで時間は2時、駅舎の写真を撮りトイレをお借りした後また先に向かいます。
坂城坂城
戸倉〜矢代宿へ

すぐ先を右に入ります。
旧道に入るとしなの鉄道と少しだけ並行します。
坂城坂城

やはり旧道はクルマがほとんど来ないので歩きやすいです。
坂城坂城

「一里塚」というバス停がありましたが、それらしい標識も何も見えません。
そのすぐ先に「寂蒔水除土提」という説明板があり、少しだけ土手が塚のような形で残されていました。この場所は千曲川からは結構離れているところだが、昔は水害に悩まされた所なのでしょう。
坂城坂城

古い家が点在する街道をひたすら歩いて行きます。
坂城坂城

屋代駅前に来ました。このあたりから矢代宿なのでしょうか、あまりその雰囲気はありません。
坂城坂城

まもなく国道403号線に突き当たり、右へ行き又すぐに左に曲がります。ここが枡形だったのだろうか。
坂城坂城

「明治天皇小休止所跡」の碑があり、ここが本陣跡だったのでしょう。
坂城坂城

国道18号に合流します。この先の旧街道は国道や長野道のために千曲川の渡しの所までの道筋は消えているようです。
時刻は4時になりました。更埴インター近くにある「屋代高校前駅」から帰途につきます。
坂城坂城

<平成18年10月>



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