沼田街道3

沼田街道の長井坂城跡からさらに北へ向かいます。

※掲載地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分の1地形図を複製したものです。
(承認番号 平17総複、第339号)

長井坂城〜永井へ

昭和村 西側を迂回して長井坂城跡へ入っていきます。すると古い「道しるべ」がありました。画像ではわかりにくいですが、右側下に「右 棚下不動尊へ」と示した背丈ほどの高さがあり、石仏も刻まれている。
ここには大手筋の標柱も建っており沼田街道に再合流です。街道の南側を見るとこんな藪ですが、北側へは掘割状になった歩ける道です。
沼田街道
沼田街道

資料によると街道の東側が二の丸で西側が本丸です。街道が城の中央を貫通しているのは不思議ですが、要するにこの城が落城後に街道が整備されたのではないでしょうか。
城跡は三方が崖の半島のようなところに作られており、今でも空掘りや土塁が良く残っているのを見ることが出来る。群馬県の指定史跡になっています。またここは赤城村と昭和村の境界になっているようです。
沼田街道
沼田街道

沼田街道跡や二の丸跡、馬出し跡などの標識の有る少し先の断崖の先は藪で通行出来なくなるので、右へ迂回して車道を下ります。
断崖のところは柵も何も無いので注意が必要です。
沼田街道沼田街道

三の丸の脇を通って車道に出たところで関越高速道路が突然と下に見えてきます。そう、この城跡の下をトンネルで高速道路が貫いていたのです。そういえば城跡に入る前からゴーゴーとクルマの走る音がずっと聞こえていたのです。
沼田街道沼田街道

車道を少し下りながら左側を注意しながら行くと、ヘアピンカーブのところで旧街道を見つけました。一般の人なら気が付かないようなところです。
草に覆われているのは入口だけで、入っていくと感じの良い掘割状の坂道が下っていました。旧街道永井坂です。
沼田街道沼田街道

途中には馬頭観音も建っていました。この永井坂は歴史の道調査報告書(昭和55年発行)でも廃道と書いてあるが、今でもその当時とほぼ同じ状況を保っているようです。
沼田街道沼田街道

落ち葉の厚い道をしばらく下っていくと、うわー、、というような藪が急に前方に現れました。
沼田街道沼田街道

背丈ほどもある草木を100mくらい掻き分けていくと、前方に民家の屋根が見えてきました。昭和村永井集落の山口家の前に出ました。 この旧家はかって参勤交代の大名が休憩に使用された当時からの古い家だといいます。藁葺き屋根はトタンで覆われていました。
沼田街道沼田街道

山口家前には石仏や湧き水もありました。城跡を出てから約30分で標高差約150mを下って来ました。
沼田街道沼田街道

車道に合流して下ると谷を下永井橋で渡ります。橋柱には「沼田へ8Km」と掘り込んでありました。まだそんなにあるのか、という思いです。
沼田街道沼田街道

右に永井箱根神社の参道を見ながら坂道を上ると広い車道に出ました。
沼田街道沼田街道

その道路を少し行ったところで右の街道に入ります。
沼田街道沼田街道

永井〜片品川

林道のような舗装の街道を上ると、ちょっとした峠の切通しがありました。
沼田街道沼田街道
右からの車道を合流してしばらく行くと、入原集落です。
沼田街道沼田街道

今は珍しい藁葺き屋根の民家もありました。
沼田街道沼田街道

バスの通る県道に出ると左側の雲昌寺のところに大ケヤキが道路にはみ出すようにありました。 樹高18m、目通り8.4m、根回りは20mもあり樹齢は700年とのこと。
沼田街道沼田街道

しばらく歩き続けると森下宿です。ところどころに古い家を残す宿だが、宿場町の面影は薄れています。
沼田街道沼田街道

かっては道の中央に水路があったそうだが、今はそれは無く、本陣の跡はJAになっている。
右に昭和インターへの道を分けて宿を抜け、坂を下りきる手前の庚申塔があるところで右の旧道に入ります。
沼田街道沼田街道

双体道祖神がありました。旧道もまたすぐに県道に合流します。
沼田街道沼田街道

少し先にまた旧道が少しありました。
沼田街道沼田街道

県道が緩く下った中学校の先で左に入ると片品川で、沼田市との境界です。向こう岸に続く真っ直ぐな沼田街道が見えますが、今は渡る橋はありません。かっては渡し場だったようです。先ほどの沼尾川もそうですが、街道なのに今も橋が無いのですね。地元の人に聞くと、対岸の集落とは行き来がないからだと言っていました。
時間は16時ちょっと前、今日はここまでとします。昭和村役場前まで歩いて沼田行きのバスを待ちます。
沼田街道沼田街道

<平成17年7月>

その後の永井坂

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