さあ、さらに松之山街道を東に向かいます。尚、どうして松之山町を通らないのに「松之山街道」と呼ばれるのかと思っていました。
これはこれから通過する松代町も松之山地方(郷)なのだそうです。
- 安塚〜原山橋まで
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安塚宿内の旅館を8時過ぎにチェックアウト。
今日の天気予報では午後にも雨が降って来そうな予報だから、松代まで降らなければいいなと思いながら出発する。
すぐ先の街の中心の十字路を直進すると上り坂となり、まもなく左上に添景寺が見える。この道は国道403号線である。
寺の下を通り過ぎると右側に「旧三国街道」の案内板が立っており、この地方では三国街道と呼ばれているようです。「旧街道入口」の標識もある。
(左の写真はクリックすれば拡大します)
街道入口から小さな谷を渡って上りの草道が続いています。足元を見ると落ち葉と草の中に1列の敷き石が続いているのです。
右に左に曲がりながら上っていく。敷き石にはすべり止めの溝が切ってあります。
棚田の脇に出たところで一旦農道に出るが、すぐ先でまた旧街道は続いている。案内標識もあり、このあたりは良く整備されています。
さらに進んでいくと左からの農道と合流し、尾根伝いに行くようになって勾配も緩やかな道になる。
小さな小屋のあるところには安塚町教育委員会による「ニツ城跡」の説明板があったが、城跡がどのようになっているのかはわからなかった。
「歴史の道調査報告書」にはこの北側にある城山の直峰城の説明は書いてあるのだが、ここのニツ城の説明は載っていませんでした。
(左の写真はクリックすれば拡大します)
石仏群を見ながらさらに進みます。
切通しになっているところの敷き石は土に埋もれてしまっているのかも知れません。
少し行くと広い車道に出ました。この2車線の道は安塚から原山橋に出る広域農道です。旧街道の出口には案内標識が立っていました。
また右に旧道が分岐しますが、すぐに車道に戻ります。
そのすぐ先で旧街道は左の山道に入ります。
山道ですが輪だちのある草道です。
その先、峠のようなところで十字路になっているのですが、直進する旧街道は廃道状態になっていました。
藪の深いところを20mほど入ってみますが、この状態が長く続くみたいなので歩行を断念して車道まで戻ることにします。
(ズボンに草の種が沢山引っ付いてしまいました)
舗装道路を迂回していくと原山集落に出ました。
ちょうど農作業にかかるために軽トラックで来ていた人に聞くと、かって旧街道はこの集落の北側の尾根を通り、道路の切通しの上を越えていたようです。それを確かめたいのですが、藪が深くて入れそうもありません。
車道を下っていくと左に入る旧道らしいところを下りて行ってみたのですが、ここも少し先で行けない状態でした。
車道に戻り、下っていくと原山橋に出ました。
旧道は橋の手前に出てくるはずなのですが、道がどのようになっているのか藪が深くまったく見ることは出来ません。
- 原山橋〜細野峠まで
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原山橋の碑には街道を行く旅人の絵が刻んでありました。
街道はこの新しい原山橋の手前を横断して川を越え、再度峠に向かっていたようです。
このあたり茶屋か何かあっても良さそうなところなのですが、「歴史の道調査報告書」には道すじの説明も簡単にしか書いてありません。
原山橋を渡ったところから田んぼのあぜ道を通って旧街道を上って行くと国道403号線に出ました。
旧街道はしばらくこの国道に吸収されているようです。
国道は細野集落の中を大きくSカーブを描きながら上っていきますが、旧街道はほぼまっすぐに上っていたようです。一部は農道として残っています。
民家の庭先を通って六夜山荘の前で国道に戻りました。ここあたりは「自然王国細野村」として観光化されているようです。山荘の入口に大きな案内地図が設置されています。
これを見ると周辺には工房や体験農場、六夜山(標高411m)へのハイキングコースなどが整備されていますが、旧街道の案内は載っていませんでした。
想像ではこの六夜山荘の駐車場を通ってまっすぐ上っていたのではないでしょうか。
わらぶき屋根の民家がありました。その先で国道は左へ急カーブしますが、街道は右へ入ります。
細野集落最後の民家に入る道の途中から草道に入ります。耕作されている農地のところまでは歩きやすいのですが、その先で背丈ほどの藪道となってしまいます。
藪を掻き分けるのは30mほどで済みした。まもなく国道に合流します。
国道と言ってもほとんどクルマは通りません。道幅の狭いところが多く走りにくいからでしょう。
まもなく細野峠で旧大島村に入ります。時刻は11時です。峠は標高320m、でも標識も何もありません。
<平成17年11月>
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