今回歩く北国(ほっこく)街道は善光寺の山門のところから北を目指します。尚、北国街道と呼ばれる道は京都から行く街道もあり、加賀国へ向かう道をそう呼ぶようです。
- 善光寺〜吉集落まで
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※掲載地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分の1地形図を複製したものです。
(承認番号 平18総複、第259号)
新幹線に乗って長野駅には朝9時前に着きました。駅前からすぐの参道に入って善光寺に向かいます。この参道は意外と距離があり、山門までの歩きには30分はかかります。
参道の両側は商店街です。
善光寺の山門は2つあり、最初の山門をくぐったところの十字路を東に入るのが北国街道です。ここを9時40分に出発します。
この十字路から善光寺方向を見ると二つ目の山門はカバーが掛かって現在改修工事中です。参道に面してお土産屋もたくさん並んでいます。早くも観光の参拝者もいます。
右折後約300mで左斜めに入ります。ここから約2Kmは東北東に向かって道なりの歩行になります。
住宅街の中を行きます。「北国街道」と書かれた旗や街路灯もありますが、古い街並みという程ではないが、所々に古い家もある通りが続きます。
直進が寺(善敬寺)の参道になっている一時停止の十字路を左に曲がります。
ここからもしばらく、街道は道なりの真っ直ぐに北の方向へ向かう県道です。
道の傍らには石仏群や古い道しるべもありました。読みにくいが「右志賀くさつ 左北国街道」と書いてあるようです。
坂道になるところには馬頭観音などもあり雰囲気もあります。このあたりが新町(あらまち)宿だったのであろうか、標識も無いのではっきりとはわかりません。
県道バイパスを信号で横切って進み、振り返るとりんご畑の先に長野盆地が見渡せるようになり、徐々に標高が上がっている事が分かります。
田子集落に入るとりっぱな門構えの池田家があり、こちらは明治天皇が北陸巡行の時に小休止に利用されたという。
田子の集落を過ぎると、田子池を左に見ながら吉の集落に入ります。このあたりの畑はほとんどがりんご畑になっています。
静かな吉の集落を抜けると上り坂にかかります。旧道を走る路線バスにすれ違いました。
- 吉集落〜三本松峠まで
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バイパスをくぐった先で左側に旧道だったらしい草道が100mくらいありますが、今は荒れていて通れず、水道用の用地になっているようです。
現在の車道は勾配を緩くするために少し遠回りをしています。
善光寺前からここまでコンビニでもあるかと思い昼食を用意してなかったのだが、旧街道は住宅地が続くだけでコンビニなどもありません。
しかし、牟礼村に入る手前の、こんなところにと思うように山小屋風のうどん屋がありました。ちょうど時間も12時を回ったので、ここで昼食とします。
40分ほど食事休憩して満腹になったところで、坂道を上り一旦バイパスに合流するが、旧道はすぐに左に上って行きます。
明治天皇の休止所跡の碑も有り、振り返ると長野盆地もはるか下に見えるようになって来ました。
「見晴らし坂」と言う坂道のようですが、残念ながら今はベンチさえも無いので先を急ぎます。
また右にバイパスが寄ってきますが、すぐ先でバイパスの横断歩道を渡り、旧道を進み、アップダウンのある平出集落を通過します。
このあたりは「東海北陸自然歩道」の案内標識が立っています。
集落を抜けると「三本松」でバイパスと合流します。そこには行人塚があり、三本の松が植えてありました。かって行き倒れとなった旅人を埋葬したところのようです。
一茶親子の別れの地ともされています。
ここは標高630m程の峠になっており、コンビニや食堂もありました。
時間は1時40分です。ここからは下り坂になって牟礼宿に向かいます。
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