善光寺西街道・立峠〜西条

立峠上り(四賀村)

※掲載地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分の1地形図を複製したものです。 (承認番号 平16総複、第468号)

立峠地図 会田宿を出ると立峠への上りだが、舗装道路になっている。芭蕉の句碑を右に見ると道が広くなるが、まもなく左に旧道が分かれ、またすぐに合流する。その先は県道を左に見送り花川原林道となり、少し先に岩井堂観音がある。ここの岩山は必見である。断層が斜めになっている大きな岩山だ。
その先でまた街道は砂防堤で分断されるので付け替えられた林道で大きく回って行く。
立峠
立峠

砂防提の先には「うつつの清水」と「一里塚」があったという説明書きがあるが、今は松の木の根元に水溜め石が保存されているだけだ。清水は谷に下りた向こう側にあって、ここまで竹筒で引水して下流にある岩井堂や茶屋・民家で利用していたという。
立峠

そこから林道はいかにも車道らしく大きくSカーブして登っているが、左側の藪に入ると旧街道らしい道の形跡があった。廃道状態のため道筋はわかりにくくなっているが、さらに一旦林道を横切って(S字の真ん中)進んで行くと馬頭観音と貯水槽のあるところへ出たのだ。
馬頭観音は旧街道側(廃道)に向き、林道には背を向けて立っている。
また向こう側には貯水槽があり、長野自動車道の立峠トンネルの掘削で水が枯れたため、トンネルからの湧水をここまで汲み上げ、農業用水池として造られたという碑が立っている。
廃道立峠

立峠へはこの貯水槽の左脇から登る道が道標で案内されているが、藪に覆われた細く急な山道だ。かっての街道はこの貯水槽があるあたりから東側を上っていたとのことだが、昭和34年の台風の大雨災害で消滅しているのである。
立峠立峠

細い急な上り道は道標には峠まで600mと書いてあったが1Km位に長く感じらた。峠に近づいたところで街道らしき幅の道に出ると、峠とは反対の右下側にも道が続いている。それを少し下ってみると石垣や石仏も有り、まもなく右に曲がるところが藪になっていて入れない。おそらくこれが消滅した旧街道の一部なのであろう。曲がらずにまっすぐ行く細い道もあるが、それは送電線鉄塔の保守道と思われる。
立峠立峠

峠までの所要時間は道草を食った関係で、会田から2時間近くかかってしまった。草地の広場になっている峠にはかって、茶屋が4軒あったという。見晴らしも南北ともに良い眺めだ。標高は1010m、右の尾根を上れば唐鳥屋城跡があるようだ。ここからは本城村に入る。
(右の写真は峠から四賀村方面の展望)
立峠立峠

立峠下り(本城村)

峠の下り側はクルマのワダチもあるし、ぬかるみもある。しかし途中からは石畳の道となり、良く整備されている。
立峠立峠

標識には「芭蕉の小経」と書いてある。また「短い直路」とか「長い直路」という意味不明の標識も有る。ここでも砂防堤により街道は分断されて、車道を兼ねた石畳道も迂回を余儀なくされている。
説明標識によると石畳は毎回の道普請を楽にするために敷かれたようなことが書いてある。
立峠立峠

舗装路に出たところは花川原林道の道であり、砂防提からの旧道(石畳になっている)とも合流する。旧街道はここから草道に入り、東海北陸自然歩道の標識も向いている。しかし途中、ちょっとだけ藪が深くて歩くのに苦労するところがあった。
立峠立峠

もう1回舗装の林道を横切れば舗装された道となり、すぐに乱橋集落が見えてくる。下りの峠路は短いのか、峠からはちょうど30分でここまで来た。
立峠

乱橋〜西条

坂道を下って乱橋宿に入る。ここはかっては間の宿だったところ。屋号なども掲げられており、今も雰囲気は十分に残している静かな集落だ。
前方に見える低い山はこれから越える中ノ峠だ。
乱橋乱橋

中ノ峠への上りは短いのだが、現在は左右に2つの車道が造られており、街道はその真ん中を最短距離で上っている。 左の写真がその草道の旧道で、なかなか雰囲気の良い道だ。その道からは乱橋宿と立峠方面が見晴らせる。
乱橋乱橋

「物種太郎の塚」と松の木のある中ノ峠からは舗装のゆるい下りが長く続きます。途中には「馬の水飲み場」や「一里塚跡」の標識を見ながらしばらく行けば、JR篠ノ井線の線路に当たります。ここは踏切が無いのだが、少々右に迂回して地下道を抜ければ西条はもうすぐです。
乱橋乱橋

国道403号に合流し、その先でJR西条駅は右に入ったところです。時間も4時半を回り、本日の行程はここまでとし、ここから篠ノ井線の電車で松本まで戻ります。
乱橋から西条駅まで所要は丁度1時間であった。
西条西条

協力:四賀村教育委員会・本城村教育委員会

<平成16年10月>

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