旧東海道も道のりは長い。連続してすべては歩くことは難しいので小生は要所のみを歩いている。その中で峠越え道は必ず歩いて見たいところである。
今回は三重県関宿から鈴鹿峠を越えて滋賀県土山宿まで歩きました。
- 関宿
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前夜は草津駅近くに宿をとった。朝のJR草津線を柘植で関西本線に乗り換え、9時前に関駅に降り立つ。
天気予報では雨も降るかも知れない予報だったが、とりあえずは快晴の空の下でのスタートだ。
関駅は無人駅だが宿場町らしく白壁造りになっており、「関宿ふるさと会館」と兼用になっている。なぜか駅舎に駅名の表示が無い。(左の写真は駅前を走る国道1号線の歩道橋から見た関駅)
200mほど離れたところには道の駅があるようだが、今回はパスだ。
国道を渡ってまっすぐ行くと見事に旧街道の宿場町が再現されていた。昭和59年に保存地区に指定された街だ。とりあえず、東に行って宿の入口(東の追分)まで歩いてみる。東の追分は「伊勢別街道」との分岐点にあたり、木製の常夜灯がある。
宿場は通りの電柱が撤去されて雰囲気は大変に良い。道幅は狭いが路面も特殊舗装でクルマも少ないし、どの場所でも絵になる風景だ。通りの奥にはこれから越える鈴鹿山系が見えている。そういえばテレビのアンテナも見えない。
通りに面した商店・銀行や郵便局までも昔造りになっている。また要所には本陣跡などの石柱が立てられている。
それにしても一般の商店はあるのだが、観光用のお土産店は無いのだ。(朝早いから閉まっているのか?)
通りは真っ直ぐでは無く、わずかなカーブを繰り返しているから出口がなかなか見えない長い宿場の通りで、長さは2Km近くはあるようだ。歴史資料館などもあるのだが、今回は先を急ぐことにする。
郵便局の前には高札場が復元されている。
宿の出口には旧家を利用した休憩所がありました。ここからは大型トラックの走る国道1号線に合流します。
ここで時間は10時で、宿の散策にちょうど1時間かかったことになる。
- 坂下宿へ向かう
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国道を少し歩けば鈴鹿川の橋の手前で右に入る旧道がありました。但し、道標はありません。
まもなく旧道も橋を渡るが、本来の東海道は国道の橋との間を渡っていたようだ。
橋の先は静かな集落になっている。市瀬集落だ。
その先、国道を斜めに横断して国道の左側に出ると石灯篭が立っていた。少し先で旧街道はまた国道に吸収される。
この先も、わずかだが旧道もあるところを横目に見ながら、国道の歩道を歩く。歩道でも大型車が来ると相当な風圧を受けるから注意しながらの歩行だ。写真はクルマの切れ目でシャッターを押しているが、さすが1号線だけあって大型車の交通量が多い。
1Kmほど行くと右へ入る「東海道」の案内標識があり旧道になります。国道は川の南側を行くのだが、旧道は北側を行く静かな道だ。ここで時間は11時になった。
沓掛の集落。本数は少ないがバスもこの旧道を走っているようだ。
Y字路を右の坂道に上って行くと左に馬子唄会館、右に旧小学校がある。この小学校は廃校だが良く保存されており、トイレや休憩施設があったので昼食休憩とする。
すると会館の館長さんが通りかかって、ぜひ馬子唄会館に寄ってくれという。早速、鈴鹿馬子唄の流れる会館に入館すると、これから行く坂下宿などの旧街道がパネルに説明されていた。
街道の左側に整然と立っている木柱には東海道53次の宿場名が書いてある。
<平成17年1月>
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