可児市〜太田宿

可児市に入る

中山道歩きも国道21号線を歩いて可児市に入りました。 中央分離帯のある国道の歩道を西進します。この辺りは歩道があるのはいいがクルマの音がうるさいし、あまり面白みはありません。淡々と歩道を行きます。
可児可児

国道が大きく右にカーブした先で旧道は右に入ります。
道端に何かの石碑群があります。○○塚とは読めます。
可児可児

JR太多線の踏切です。中山道踏切と表示されています。
可児可児

国道もバイパスが出来て旧道になるとクルマも少なくなって静かになります。
右の石垣の上に大きな石仏が2体。開墾記念碑と妙見大菩薩です。
可児可児

しばらく進むと旧国道は右へカーブして木曽川を渡りますが、旧街道は直進します。
可児可児

道幅が狭くなった車道を400mほど行って、変則十字路を右に入ります。
可児可児

街道は右にカーブして木曽川を上流に向かうように向きが変わります。ここからは遊歩道として整備されていました。
可児可児

石畳の道を下ります。良い旧街道の雰囲気の道です。何人かの散歩の人とすれ違います。
可児可児

渡し場の説明板があります。川を渡る手前は可児市ですので「今渡の渡し跡」と表示されています。対岸から見れば「太田の渡し」なのでしょう。
(右の写真はクリックすれば拡大します)
可児可児

徐々に川面に近づいて行きますが、現在は護岸改修のためか3mくらいの高さの護岸になっています。対岸には太田側の渡し場が見えます。 さすが木曽川、川幅も広いし水量も多い流れです。
可児可児

渡し場の直ぐ上には観音堂があり、石仏群もあります。歩行者はこの観音堂の前を石段で下りて来ていたのかも知れません。
観音堂の上の道に「中山道」の標識があるが、これは遊歩道としての表示かと思います。この道を歩いてすぐ上流にある太田橋を渡ります。
可児可児

太田橋のところには「太田の渡し」の説明があります。
太田橋の脇の歩道専用橋を渡って太田宿に向かいます。
可児可児

木曽川を越えて太田宿へ

太田橋を渡った先の信号交差点から木曽川の堤防の上を行きます。
太田橋のすぐ上流には日本ライン下りの乗船場が見えます。
太田太田

街道はこの堤防あたりを行っていたようですが、今は堤防の中に埋もれているのでしょう。
太田太田

右側に町並みが見えてきたところで堤防を下りて、街に入ります。
街道筋には新しい太田宿の標識が立てられています。
太田太田

この辺り、町並みとしては古いものは無いが、あんどんなどがあって雰囲気を作り出しています。
太田太田

夕暮れ時の静かな宿場町です。
太田太田

新しい案内標識も各所にあります。この緩いSカーブが東の枡形でしょうか。
太田太田

徐々に古い町並みが並んできます。
太田太田

この辺りで、デジカメの電池残量が怪しくなりました。もう少しです。
太田太田

堂々たる脇本陣の構えです。
脇本陣の前には中山道の絵図とその説明があります。また資料館もあります。広い観光用の駐車場もあるが今の時間となってはクルマはありません。
(右の写真はクリックすれば拡大します)
太田太田

こちらは本陣跡の門です。本陣はこの門のみが残っています。
(左の写真はクリックすれば拡大します)
太田太田

太田宿の西の枡形に着きました。街道はこの十字路を左に行って太田宿を抜けます。最後の写真を撮ったところでデジカメのシャッターが押せなくなりました。 石の道標には「右 関上有知 左 西京伊勢」と書いてあります。「関上・有知」は現在の関市と思われます。
時刻は丁度17時、今日の歩行はここまでです。ここから7〜800m離れたところのホテルにチェックインします。
太田太田

<平成22年11月>

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