武佐宿から野洲へ
武佐宿を出る

朝一番の電車に乗って新幹線で名古屋・こだま乗り換え米原、さらに東海道線で近江八幡、近江鉄道で10:17に武佐駅に着きます。 前回、2年前の春には美濃赤坂から3日間でここまで歩いて来た所です。今回はやはり3日間かけて京都三条まで歩きます。
旧中山道はこの武佐駅で突き当たり、駅北の踏切を渡って西に向かいます。ここは枡形(クランク型の道)を形成しているようです。
ここは近江八幡市です。
武佐武佐

なかなか風情のある武佐宿の中を歩いて行きます。大きな椎の木があります。
武佐武佐

宿の中を抜けて、ここで道が突き当たるが、街道はすぐ右を走っている国道8号線に合流します。
標識に中山道コースは左に行くような矢印で表示されているが、それはハイキングコースでしょう。
実はここで写真を撮っていたら早速に通行人に話しかけられました。いつも通りに「どこから来たのか・どこまで歩くのか」とかです。 その人は同じ埼玉の出身とのことでどこの誰かを知っているかとか、話が長くなりましたが、何とか10分程度で別れます。
武佐武佐

ここの国道には歩道が無いので安全ではありません。交通量が多いのだが、信号待ち渋滞なので少しは助かります。 左側では交差点の立体交差化工事が行われています。
その交差点では左に曲がり、100mほど先で右に入ります。
武佐武佐

少しだけの旧道だが、またすぐに国道に合流です。
武佐武佐

近江八幡市の千僧供(せんぞく)町に入るが歩道は狭いです。でもあるだけは良いでしょう。
武佐武佐

門・住宅とも藁葺きの家があります。何も表示説明が無いのだが、何か文化財指定にでもなっても良さそうな家です。
狭い歩道を歩いて行くとまもなく旧道は右に分岐します。
武佐武佐

旧道は狭いがクルマも少なくて静かです。
武佐武佐

右が田んぼになって開けて来ました。その向こうを新幹線が走っています。新幹線の向こうは琵琶湖なのだが、離れているので見ることは出来ません。
武佐武佐

まもなく日野川の堤防に突き当たります。街道の橋は無いので堤防を歩いて500mほど上流の国道の横関橋で迂回します。
武佐武佐

左岸の堤防を歩いて旧中山道に戻ります。ここからは竜王町になります。
武佐武佐

また少し行くと国道に合流します。
武佐武佐

その少し先で左斜めに入る街道です。
武佐武佐

このあたりは鏡宿という「間(あい)の宿」だったようです。正式な宿場町では無いが旅籠などがあったようです。今は古い家は残っていないが跡地の説明板が建てられています。
石仏が多数まとめて祀られています。
武佐武佐

また信号の交差点で国道に合流です。
武佐武佐

本陣跡には近代的な住宅が建てられています。間の宿にも大名の泊まる本陣があったのですね。
この先はゆるやかな上り坂になります。歩道橋の先に道の駅「竜王かがみの里」がありました。 この道の駅で昼食でもと思ったのだが、レストランは休店していました。他にお店もありません。
武佐武佐

野洲宿へ

道の駅のすぐ先で左に入ります。。
この辺りから野洲市になります。
武佐武佐

中山道の説明板があります。
武佐武佐

すぐ先でまた国道です。
ここで並行する国道の方を見るとコンビニが見えたので寄って30分ほど昼食休憩とします。
武佐武佐

歩道の広くなった国道を行くと沼があります。あまり綺麗な沼ではありませんが、平宗盛の終焉の地だそうです。
武佐武佐

小さな川を渡りますが、水は流れていません。
武佐武佐

緩やかな坂を下った信号の交差点(浄勝寺前)では右斜めに行くのが街道です。交差点の近くに中山道の標識があるが直角に向いているので紛らわしいです。
静かな集落の中を行きます。
武佐武佐

これは道しるべと思われるのだが、何て書いてあるのか読めません。
また国道に合流します。
武佐武佐

国道を少し行けばまた右へ入ります。
武佐武佐

小堤集落の中を進んで行くと新しい家棟川橋を渡ります。
武佐武佐

この家棟川は最近までは天井川だったようです。新しい橋のたもとに河床を下げて道路トンネルを廃止して橋を架けた、との説明がしてあります。 この地方にはこのような地上よりも高く流れる天井川が他にも多くあるようです。
すぐ上流側には国道の橋も架かっています。かつてはこの旧道も国道も川の下をくぐるトンネルだったわけです。
(右の写真はクリックすれば拡大します)
武佐武佐

大きな門構えの家です。
武佐武佐

石仏があります。
新幹線の高架が近寄ってきます。
武佐武佐

稲荷神社の入口には大きな常夜灯があります。
武佐武佐

新幹線の高架の下をくぐり、斜め方向に進めば野洲宿です。
武佐武佐

<平成26年10月>

次は草津宿まで


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