三国街道・廻戸〜相俣宿

廻戸〜須川宿
これから歩く三国街道はクルマでは何回か通ったことがあるのだが、今日は歩きます。
塚原宿からの街道は坂道を下りて赤谷川を渡るとここ廻戸に出てきます。 今では赤谷川をどのあたりを渡っていたのか見当も付かない状態ですが、河岸には草に埋もれる石仏が2つありました。
今日はETCを付けたばかりのクルマでの最初の走行で月夜野インター下車、まだ朝の7時です。
三国街道三国街道

そこから旧街道を歩くと200mほどで国道17号線を斜めに横切ります。国道標識にも「三国街道←→」の表示があり、向こう側には道しるべもありました。
三国街道三国街道

坂道を上っていくと石仏群があり、そこから下りにかかると集落の先で道は田んぼに消えてしまいます。
その先は農産物販売所のあるところで国道に合流するが、山側の公園のところに「塩原太助」と馬の銅像が建っていました。 太助は愛馬「あお」と別れて江戸に奉公に出て22年間を勤勉に働き、晩年には私財を公益に投じた模範青年だったとのこと。国道沿いには太助の生家の表示がある。
三国街道三国街道

しばらく国道を行きます。このあたりは下新田宿で、本陣は無かったが問屋はあったようでところどころに古い家が残っています。
三国街道三国街道

その先、緩い坂道の先で右へ入る道が旧街道とのことだが、またすぐに国道に出ます。
三国街道三国街道

ここの赤谷川は現在の今宿橋の少し上流を渡っていたようです。
三国街道三国街道

国道の新しく付け替えられた橋の先は布施宿で旧新治村の中心です。やはりこのあたりも国道になってしまったために町並みがあまり残っていないですが、土蔵のあるお屋敷が目立ちます。
三国街道三国街道

小さな橋を渡った先で左に入って国道から離れます。
三国街道三国街道

雪避けのある坂道を上って行くと、右からの広い道に合流します。
三国街道三国街道

まもなく須川宿です。入り口のところはクランク型に曲がっているので枡形なのでしょう。
この宿は明治になってからは赤谷川沿いの湯宿を通る道が出来て寂れたため、古い町並みが残されたようです。 現在は通りの電柱も削除され、街道宿というよりも「たくみの里」と銘打って観光地化されています。が、まだ朝早いためか観光客は見当たりません。 たくみの里という名の通り、いろいろな工芸などの店があり、体験も出来るようです。
三国街道三国街道

須川宿〜赤谷湖

須川の宿は南北の街道に沿っているからでしょうか、家は皆、横向きになっています。
(右の写真はクリックすれば拡大します)
三国街道三国街道

水車も有り、お地蔵様もありました。側溝にはきれいな用水が流れています。
三国街道三国街道

宿の出口には石仏群がありました。須川は高台にあるので、この先は赤谷川に向かって下っていきます。
三国街道三国街道

坂の途中の杉林の中に石仏群が草に埋まるように立っていました。
下りきったところの十字路を左に入ります。直進すると現在の新しい橋になります。
三国街道三国街道

赤谷川に突き当たったところには橋は既にありませんでした。洪水に流されたままのようです。下流の新しい橋を回ってその先に出ます。
三国街道三国街道

浅地集落の中の上りにかかります。右の斜面からは湧き水が出ています。
三国街道三国街道

さらに急坂の細い道に入ります。道脇の草刈作業をする地元の人たちが休憩していました。その人たちに確認すると旧街道の道筋はこれで間違いないようです。
そのすぐ先で車道を横切ります。
三国街道三国街道

日枝神社の前を通過すると右にカーブして国道に合流です。左側には「逆さ桜」があります。謙信が桜を逆さに挿して植えたものが芽吹いたものとされている。 赤谷湖の駐車場もあります。
三国街道三国街道

国道を少し行くと相俣宿です。通りは交通が結構多いが、クルマが途切れると静かな宿です。
三国街道三国街道

相俣宿を出ると左に下りる道がありますが、これが旧街道かどうかは不明だが、向こう岸に見える猿ヶ京へはかって街道はこの辺りから赤谷湖の底を通って続いていたのです。
三国街道三国街道

時間はまだ10時20分です。路線バスでスタート地点まで戻ります。

<探査日:平成17年10月>



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