鬼怒川温泉に宿泊した朝の散歩で対岸を廻ってぶらぶらしていたところ会津西街道の案内板を見つけましたので少しだけ辿ってみました。
- 鬼怒川付近
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案内板には点線で旧街道の道筋が示されていました。
案内板のすぐ先の東武線のガードをくぐって右に入る道が街道のようです。
(左の写真はクリックすれば拡大します)
東武線をくぐって進んで行くと歩道部分が石畳になって続いていました。
Y字路で左に行く旧道はまもなく橋の所で行き止まりです。整備された石畳の歩道の方は本当の街道では無いかも知れません。
小原沢橋を渡った先に「鬼怒川戊辰街道」と表示された灯籠と戊辰戦争の説明板があります。ここは旧小原村の小原沢古戦場跡です。
カーブする坂道を上って行き、直進が旧街道のようです。ホテルでの朝食の時間に間に合わないといけないので左に入ります。
鬼怒川小学校と鬼怒川公園の間を行く道は松並木になっていて旧街道の雰囲気があります。
すると左側に古い旧家が残されていました。
説明書きを見ると別の場所から移築した旧旅籠のようです。資料館との説明がされているが今は中には入れないようです。
すぐ先で東武線を跨線橋で越すと国道に出ました。この道のすぐ先で街道が合流しているようです。
(左の写真はクリックすれば拡大します)
先程の地図を見ると街道はこの先、藤原宿の先で国道から離れて右の山道に入り、狸原山付近を通り五十里湖に出るようです。はたして今でも通れる道になっているのだろうか。
栃木県は「歴史の道調査報告書」を発行していないのだが、何とか道筋の詳細を調べてみたいと思いました。
<平成22年7月>
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