善光寺西街道・岡田〜刈谷原〜会田

岡田宿

旧善光寺街道を松本市(岡田)から北に向かって千曲市(稲荷山)まで2日間で歩いて見ました。松本から岡田宿まではあまり見所が無いので路線バスで岡田に入ります。 松本駅前のバスセンター発8時25分、一ノ瀬行きで出発します。ほぼ満席の通学生を乗せたバスは松本城を左に見ながら走り、追分バス停で女子大生が全員下車すると、バスは狭い旧善光寺街道に入って行きます。岡田出張所前で下車すると東海北陸自然歩道の案内板もあり、ほぼこの善光寺街道が遊歩道に指定されているようです。このあたりからが旧宿場町で道路も少し広くなります。
松本バスターミナル岡田出張所前バス停

岡田宿では少しばかりだが古い家並みを見ることが出来る。宿の外れでは枡形も有り、保福寺街道との分岐点には古い石の道標も立っていた。
岡田宿岡田宿道標


刈谷原峠

刈谷原峠地図 岡田宿を出ると前方にこれから目指す刈谷原峠の山が見えてくる。この先、街道は国道254号をくぐり、ほぼ峠まで道なりで東海自然歩道の案内標識もあるので迷うことは無い。 山道に入ると舗装は無くなり土と草の道で、過日の大雨のためか結構荒れた道になっており、タイヤ跡もあるが雨水により深い溝が出来ており、これではクルマでの通行は無理でしょう。 NTTの埋設通信ケーブルも露出しているくらい深くえぐれているところもあった。(帰宅後、NTT−ME長野へメールした)
路面に部分的に見える石は石畳なのであろうか。
刈谷原峠
刈谷原峠

バスを降りてから2時間半で標高920mの刈谷原峠に到着。峠は雑木林の中で見晴らしは利かないが、ちょっとした草地の広場になっており、かっては3軒の峠の茶屋があったといい、西側には今も水のある浅い井戸が残されている。
刈谷原峠刈谷原峠
峠を越えると松本市から四賀村に入る。こちら側の道は比較的路面は良くクルマも通れる状態だ。下る途中には「一里塚跡」の標識があるが、後で四賀村役場に聞いた話では善光寺街道の一里塚は五街道などのそれと比べて小さかったため、そのほとんどが道路の拡幅や田畑のために消滅しているとのことである。
刈谷原宿の手前では砂防提により街道は分断されている。写真のガードレールの切れ目から入って砂防堤の下で街道に戻る。 (まっすぐ行く舗装路は付け替え道路)
刈谷原峠刈谷原峠
刈谷原宿

沢沿いに下る草道の傍らには石仏が祭られており、ちょうど付近で作業していた地元の人に聞くと毎年、石仏のお祭りを欠かさないという。
尚、東海北陸自然歩道は車道の方を通るようになっており、写真の草道(旧街道)は通らず、刈谷原峠の説明も車道のほうに掲示されている。
刈谷原峠刈谷原峠

刈谷原宿は坂道になっている宿場。古い家は少なくなっているがそれぞれの玄関に屋号が掲げられて雰囲気のある静かな集落である。「刈谷原町玉成学校跡」という標識が中央付近に立っているのみで他の説明板などは無い。
宿を出ると街道は平坦になり国道143号を横断して、車道を会田宿方向に向かう。
刈谷原峠刈谷原峠

刈谷原〜会田宿へ

会田地図 刈谷原宿から会田宿へは平坦な県道を歩くことになる。歩道が無い道だがクルマの交通は少ないので概ね安心して歩ける。
途中、バイパスがある部分は左に入って旧道を歩ける。その途中には「一里塚跡」の標柱だけが立っている。
会田
会田
会田宿
旧道がバイパスに合流するところで右に入って保福寺川の橋を渡り、しばらく行って新しい四賀村役場を左に見ればまもなく会田宿である。
この宿には結構古い町並みが残っており、曲がり角には「左ぜんかうじ道」(ぜんの文字が無くなっているが)と書かれた道標もある。現在も四賀村の中心であるが人影は少ない静かな街だ。
会田
会田


街道は宿内でクランク型に道をたどり、立峠に向かって急な坂道を登ってゆく。 会田宿は白壁土蔵造りの旧家が多いのが特徴だ。
会田宿会田宿

宿の出口には石の常夜灯が両側に立っている。
またその先には松沢家の長屋門の家が文化財として保存されていた。
会田宿会田宿

<平成16年10月>


※掲載地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分の1地形図を複製したものです。 (承認番号 平16総複、第468号)

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