中山道・美濃路4

大湫宿〜細久手宿

宿の中ほどの神明神社には樹齢1200年の大杉がありました。目通り11m、高さ60mもある。この宿は見所が多いので伝統的町並み保存地区に指定されて欲しいところです。宿の出口には高札場も復元されています。
13時45分に街を抜けて、先へ進みます。
細久手細久手

県道の道を行くと右側に大きな「ふたつ岩」がありました。あずま屋もあって公園のようにもなっています。このあたり、整備された道路は広くは無いのですが、歩道も造られています。
細久手細久手

まもなく「琵琶峠の石畳」が右に登っています。ここの石畳は整備されているのですが石が大きいのでちょっと歩きにくいです。足元に注意しながら歩きます。この部分は平成12年に整備されたようです。
細久手細久手

琵琶峠の標高は550m、登り口からは50mほどの標高差だ。峠は小さな切通しで狭いが馬頭観音が立っています。
細久手細久手

石畳を下っていくと両側に「八瀬沢の一里塚」がありました。
細久手細久手

石畳が終わって草道に変わるとまもなく八瀬沢集落で、車道に合流します。ここにも立場があったようです。田んぼも開けています。
細久手細久手

その先、緩い坂道を上りきったところが交差点になっていました。実はここは直進するのが中山道なのです。ところが標識には直進が中山道であるという案内標識は無く、「細久手近道」という標識が違う方向を向いているのです。近道ならそれが旧中山道であろうとその道を行くと、それは実際は遠回りの東海自然歩道の道でした。どういうわけかこの部分は自然歩道と旧中山道の道が離れているのです。(あとで案内書を見たらちゃんと間違えないように注意、と書いてありました)
細久手細久手

その細久手近道の東海自然歩道を行くと、それなりに雰囲気の良い田園地帯の中を行きます。
途中で会った地元の人に尋ねると、この道は中山道ではないとの事。集落の終わりまで来てしまったので、短絡道を教えてもらい「天神前」というバス停のあるところで本当の近道(旧中山道)に戻ります。
細久手細久手

その先の東海自然歩道と合流する手前には旧中山道の標識がありましたが、この標識は先ほどの交差点あたりに設置して欲しいと思いました。
弁天様のある弁天池が右側にあり、感じの良い茶店もありましたが閉店していました。(休日営業なのでしょうか)
細久手細久手

「奥之田の一里塚」に着きました。団体の巡礼の人達が大勢休んでいました。
このあたりでクルマのレースと思われる爆音がうるさく聞こえるようになり、周りの林で何も見えませんが、近くにレース場があるようです。
細久手宿の手前は工場になっており、中山道はその中を通っていたようです。そのまま車道を右に迂回します。
細久手細久手

細久手に着きました。建物が通りに並んでいないので街という感じは無く、あまり宿場町の雰囲気はありません。左側にあるのは公民館です。
でも今日宿泊する「大黒屋」はうだつのある旧旅籠です。4時30分、予定の時間よりも30分早く着きました。 2階の部屋に通された後、疲れたので風呂と食事のお声がけを待つことにします。
細久手細久手

大黒屋旅館

左は階段部の吹き抜け部分です。右は泊った部屋です。元々尾張藩指定の本陣で、150年前に再建された建物のようです。 この日は3人の宿泊客で、すべて街道歩きの旅人でした。食事は1階の奥の間で3人一緒です。当然ながら街道歩きの話で盛り上がりました。2人はそれぞれ中山道を日本橋から連続して歩いている人でした。
大女将のお茶のサービスの時、大女将から細久手宿への想いを綴った書き物を貰いました。また宿泊者ノートもあり、記入者を見るとほとんどは街道ウオーカーのようです。
大黒屋大黒屋

<平成17年5月>


美濃路5(細久手の先へ)


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