姫街道は浜名湖の北側を通る東海道の脇街道である。本坂通りとも言われ、いくつかの峠越えのある街道である。
一説によると新居関所を避ける女性達が良く利用したと伝えられている。
今回は奥浜名湖の気賀(細江町)から西に向かって1日で歩けるところまで行くことにした。
この区間にしたのは山越えで石畳もあり、雰囲気がありそうだからである。
- 気賀宿〜引佐峠
-
天竜浜名湖鉄道の気賀駅で下車します。
町内は4月始めに行われる「姫様道中祭り」の旗が到るところに立ててありました。
この町のメイン通りになっている旧街道だが、あまり面影が見えないのが残念である。本陣跡も立て看板があるのみである。
西に向かって歩いていきます。まずひとつの丘を越え、次はちょっとした登りになります。
登りきったところの右側に一里塚跡の碑がありました。塚はありませんが山田の一里塚とのこと。
下りにかかるとこれから登る道が前方に良く見えます。このあたり、みかん畑もあるが結構住宅地にもなっています。
緩い車道を登りきったところがちょっとした峠で、奥浜名湖の展望がきれいです。小引佐という景勝地であるという説明板があります。
ここから左に分かれる旧道はコンクリートで固められた石畳の農道になっています。
峠を下ると集落の中に薬師堂があり、かっては休憩などにも利用されたとのことです。このあたり、西気賀駅にも近いようです。
その先、また登りです。これが引佐(いなさ)峠への登りになります。姫街道は曲がり角が多いですが案内板は完備されているので道を間違えることは無いでしょう。
坂道の途中からまた整備された石畳が始まります。
姫岩というところにあづま屋がありました。かっても休憩所があったようです。お地蔵様も赤いジャケットを着ています。
(右の写真はクリックすると拡大します)
その先もさらに登りです。浜名湖側の景色も抜群になります。
また石畳になって急な道を上れば車道を横切り、トイレとあずま屋があります。平日のためか誰もいません。時々クルマが通過するくらいです。
そこから少し上が引佐峠ですが、見晴らしはありません。狭い十字路の峠ですが、右へ行く尾根道は車道に削られて迂回するようになっています。海抜は200mくらいでしょうが、ほぼ0mから登っているので、それ以上に登ってきた感がある。ここからは三ケ日町になります。
- 引佐峠〜三ケ日
-
下りの石畳は少し荒れていますが、こういうのがいい感じがするのである。
急な下りのところには「像鳴き坂」とあり、かってこの道を像も江戸へ向かったことがあるようで、像もこの登り坂が苦しく悲鳴をあげたそうである。
急坂を下ると石畳もきれいに作り替えられています。石投げ岩には小石がいくつも乗っていました。
小石を岩に投げて峠越えの無事を祈願したようである。
手の届くような道端と林の奥にもある岩だが、10mほど奥にあるものが本物でしょうね。
視界が開けてくるとまもなく大谷一里塚跡がありました。ここも塚は無く畑地になっています。
道なりにしばらく行くと2車線道路に合流するが、すぐ先で右の道に入ります。
その先で東名高速道路に突き当たるので、右に回って東名の下をくぐります。その先で振り返ると一部旧街道がそのまま残っているのが見えるが、行き止まりになっています。森の向こうは三ケ日インターチェンジです。
さらに車道を進むとまた直進する旧道が東名で分断のため、右の付け替え道を行って東名の北側の側道に出ます。
側道を少し行くと右に登る旧道があり、入ってみるとちょっと藪になっているが、すぐ先で東名の切通しの上に出て行き止まりです。この付近が大里峠と思われます。
側道に戻って東名を橋で渡ります。姫街道はこのように3箇所で分断されているわけです。東名高速もこの姫街道沿いに走っているのですね。
みかん畑の農道となった姫街道を行きます。次の丘の上は集落なっており、茶屋跡と高札場跡がありました。
街の入口で2車線道路に合流して坂道を上ったところは三ケ日一里塚跡になっていました。
その先は三ケ日商店街になった三ケ日宿です。古い商家も所々に残っていました。
ここで時刻も12時半、食事をしたいのだがなかなかレストランが見つかりません。探しているうちに商店街を抜けてしまいました。
<平成17年3月>
その先へ
Copyright (C) 2005 JA1KLB
|