下野街道・氷玉峠

大内〜大内峠

氷玉峠地図 大内宿の突き当りを右に曲がれば、そこは宿内の賑わいに比べて別世界、ひとっこ一人いないのだ。
街道脇の石仏や桜木姫墳を見ながら旧街道を峠に向かう。
大内宿

まもなく正面に大きなロックフィルダムが見えてきます。この大内ダムにより街道は消滅している。
ぐるりと県道を回ってダムの上に出ます。このダムは揚水発電用だと言うが、昼間の今でも満水状態だ。
時刻は今1時ちょうどだ。
大内宿

※掲載地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分の1地形図を複製したものです。 (承認番号 平16総複、第468号)


ダムから湖畔の県道を20分ほど歩くと右側に旧街道の説明板のある氷玉峠の入口がある。少し手前には24人戦死者の墓や林道の入口もあるので間違えやすいので注意だ。右の写真の車道(道標なし)を行っても旧道には合流する。
大内峠旧道大内峠林道

急な街道を上って下りて車道と合流したところに一里塚があった。大変綺麗に整備された対の塚である。ちょっとした広場のようにもなっているが、ここからさらに上りだ。
ここからの峠への上りはそれほどきつくはない。この上り道は2本並行してあるので、どちらを行っても良い。
大内峠大内峠

一里塚からは10分ほどで狭い切通しの大内峠に到着。すぐその先が広場になっており、藁葺き屋根の峠の茶屋が復元されている。戸は閉めてあるが、開けて入って休憩にも使えるようだ。ここの発掘調査の時には陶器や古銭が沢山出土したようです。
大内峠の標高は900mくらいでしょうが、見晴らしは木々に隠されてしまっている。
大内峠大内峠
氷玉峠

峠から道が2つに分かれており、下に向かっているのは「高清水」への道標が示しているので、ちょっと行ってみたがすぐに藪が深くなったので戻り、左の道を行きます。
この大内峠周辺の道標だが、みんな折れて壊れているのだ。板が薄い発泡材料で出来ているために積雪によって押されて壊れてしまうものと思われます。
しばらく行くと右下にトンネルを抜けて来た氷玉バイパスが見えてくる。このバイパスは平成15年に開通したもので、現代の下野街道であるが、ところどころで旧街道を分断してしまっている。(バイパスの旧道はクルマの通れない旧街道なのです。これから歩く旧街道は県道なのです)
大内峠大内峠

急坂を下りきると「三郡境の塚」に出た。すぐ右には氷玉バイパスが走っている。この塚は小さなものだが三つの郡境を示したものと言われているのです。今は会津若松市・会津本郷町・下郷町の境だが、不思議なことに国土地理院の地形図にはここから大内峠までの境界線が記載されていないのです。要するに塚はあるものの、ここは市町村の境界線が未確定の地なのである。このようなところは全国に何ヶ所もあるのです。
他に表示が無いのだが、ここが尾根で一番低い位置だから氷玉峠と思われます。標高は800m前後でしょう。峠といえば普通は道のピークなのだが、ここは尾根道しか無いため道の一番低い位置にあるようだ。
街道はこのすぐ先で新道(間道)が左に分岐するのですが、バイパス道路建設のためにこの新道は通行出来なくなってしまいました。(本郷町側の旧街道は2つあるのです)
ここで時間は2時10分。
氷玉峠氷玉峠

旧道の方は石畳と落ち葉を踏みながら進みます。右側には立派な駐車場が出来ていますが、バイパスの交通量も少なくクルマは1台も停まっていません。
気持ちの良い尾根道の旧街道を歩いて行くと、バイパス道路がカーブしながら尾根を切通しにして下って行きます。このため旧街道は階段になって向こう側に続いています。
氷玉峠氷玉峠

新道(間道)を歩く人にはバイパスを回って行くようにという案内板が立っています。こちらは旧道歩きですので階段を上って旧道に入ります。(写真の標識の黄色の道)ここからの旧街道は整備がされていないので、ちょっと荒れています。
氷玉峠氷玉峠
氷玉峠下り

急坂を下ると再度また下り階段でバイパスを横切るようになっています。階段は立派な造りになっており、下り口には「足元が悪いので注意」と表示されていました。
氷玉峠氷玉峠

ここからの旧街道は下るごとに状態が悪くなり、まず、土砂崩れの部分は乗り越えます。とにかく、人が歩いた形跡は少しか無い状態だ。バイパスを横切ってから30〜40分経過で、道は背丈ほどの藪になっていました。日当たりが良くなってきたからでしょう。でも最初のうちは歩いた形跡が少しあったので、それをたどります。
氷玉峠氷玉峠

何とか進んで行くと状態がさらに悪くなり、道スジが無い状態となり、沢の中のようなところになってしまいます。 ここからバイパスまで引き返すのは大変ですから、なんとか歩けるところを探して先に進みます。 沢が左側を流れているし、足場は悪いし、ですがとにかく沢沿いに低い方へ進むことを考えながら一歩一歩前進します。
そうこうしているうちに杉林の中に入ると、助かったあぁ、前方に舗装道路が見えてきました。 しかし、沢を渡らなければなりませんが橋はありません。沢の水量は少ないのでなんとか石伝いに渡れるところを探して生還です。。。
氷玉峠氷玉峠

ここには当然に橋が架かっていたはずなのですが、災害で流されたままのようです。橋があったと思われるところを良く見ると、川底の岩に橋脚の跡と思われる穴が見えます。
しかし、すぐ先の新道との分岐点には「旧街道」の道を示す道標があり、橋も無くその先も廃道状態の旧街道方向を示しているのです。
歩行者も通れない旧街道(県道なのです)は早く整備して欲しいものです。
氷玉峠氷玉峠

ここで時間も3時15分。ちょっとしんどかったが、安堵感で先を急ぎます。
新道と合流したすぐ先にはここにも一里塚が対で残っていました。
氷玉峠氷玉峠

さらにバイパスと合流すれば栃沢の集落を抜け、途中では一部がダムによって旧街道は無くなっているところもあるが、県道をまっすぐそのまま行きます。
関山宿への到着は4時半になりました。
関山宿関山宿

もう夕暮れが近いのだがバス(会津若松行き)の時間が1時間以上あるので、次の福永宿まで歩いてみることにしますが、1時間歩いて福永のバス停につく頃はあたりが真っ暗になってしまいました。

<平成16年11月>

協力:会津本郷町




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