- 恵那(大井宿)〜中津川市境
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朝早く自宅を出て、中央本線経由で恵那駅に着いたのが1時少し前。日を背にして歩きたいので、ここから中津川までは東に向かって歩きます。
現在の恵那市はかって中山道の大井宿として栄えました。駅前通りを少し行くと旧街道が横切っており、そこには宿場町の説明図もありました。休憩用のベンチもあります。
ここを右へ行くと西の大久手方面で、左が今日これから行く中津川方面です。
(右の写真はクリックすれば拡大します)
橋を渡ると古い町並みに入ります。主要箇所には説明板があり、かっての面影が偲ばれます。
道すじには案内標識が完備しており、それに従って歩いて行きます。この宿は枡形(鍵の手)がどういうわけか3ヶ所もありました。本陣も堂々とした門構えが保存されています。
本陣前を曲がって最後の枡形を出ると、坂道にかかったところに高札場が復元してありました。高札はわかりやすく翻訳されて説明してあるので書いてある内容が良くわかります。「火付け人を見たらすぐに申し出よ」とか、「親子兄弟は仲良く家業に励むこと」等、ごく当たり前のことが掲げてあるのでした。また人足や人馬賃なども取り決めとして掲示してあります。
その先は明智鉄道の狭いガードをくぐり、さらに坂道を上っていきます。
坂道の途中には石仏群があり、その先の階段を上ると県道に合流します。振り返って見ると恵那市街が見晴らせます。
県道で中央高速道路の上を越え、左に緩くカーブして少し行ったところで右に入るのが旧街道です。その先に関戸の一里塚跡がありました。
ずっと車道が続きますが、交通量は少なく勾配も緩いので歩くのも楽です。
峠状の地点を過ぎて下り坂になったところは公園になっており、トイレやあずま屋もあります。この坂道は陣平坂と呼ばれて、かっては難所だったようです。
広い田園地帯に出ると石の常夜灯がある十字路を越え、また緩い上り坂になります。
再び下ったところで中津川市に入ります。
- 市境〜小石塚
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また小さな峠のような丘を越えます。
恵那駅を出発してから約1時間半(約4Km)で茄子川集落へ入りました。
茄子川は宿場町では無いが、大井と中津川間の休憩所(立場)とされていたようです。
右へ常夜灯のある遠州への秋葉道を分け、その先に立場茶屋本陣(篠原家)が現存する。
白木改番所や高札場跡の碑も立てられている。
その先で後ろから呼ぶ声がして、地元の人が「ぜひ家の蔵を見て欲しい」とのこと。門構えのその方の家の裏庭に入ると蔵の外壁に龍の立体絵が付いているのでした。ちょっと街道からは気が付きにくいのが残念なところです。
右に石仏群を見るとまた坂道になり丘を越えます。このように丘越えは何回も繰り返されますが、軽い坂道なので苦にはならず、歩くには変化があっていいです。
短い急坂を上ると平坦な道になります。主要交差点には必ず案内標識があって迷うことは無いです。
道の脇に今は使われていない石組みの井戸もありました。その先に「三津屋の一里塚跡」がありますが、ここも塚は残っていません。
下り坂をしばらく行くと旧国道に合流します。歩道が無いので、クルマに注意しながら行きます。
左に常夜灯のある坂本神社の入口を通過します。
まもなく旧国道は右へカーブしますが、街道は直進です。
その先は中津川インターの築堤に突き当たって旧街道は行き止まりになりますが、側道を左に迂回して中央線の線路を見ながら行くと国道19号線に合流します。この少しの間(約500m)は旧街道はインターと国道に吸収されているのです。
国道19号に出たら、国道257号が分かれたところの間を行く階段があり、ここを上っていくと旧街道になります。ここも峠になっており、小石塚立場跡はコンビニになっていました。
国道脇は野立ち広告が賑やかです。
- 小石塚〜中津川宿
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坂を下り、しばらく行くと「上宿の一里塚」がありました。ここはちゃんと塚になっていました。公園にもなっていて整備されています。
一里塚の先は大きなS字カーブで下りますが、歩行者はショートカットされた階段でも下りられる様になっていました。小手の木坂という名称が付いています。
「駒場村の高札場跡」があり、高札が民家の壁に掲げられていました。
その先ではT字路に突き当たるので左折します。
さらに旧国道を横断して坂を下って行きます。
まもなく中津川宿に入ります。宿には戸ごとに行燈が立てられており、宿場の雰囲気を盛り上げています。
枡形の付近は古い商家が密集しており、良い感じになっています。
本陣跡を過ぎると中津川の現在の商店街になり、駅前通りに出ました。中津川駅前通りも最近、広くきれいになったようです。
時刻も5時半を回り、ちょうど良い時間です。
本日の宿泊するホテルもこの近くです。
<平成17年5月>
恵那から西へ
中津川の東へ
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