越後街道・塔寺〜片門宿

鐘撞堂峠(会津坂下町)

塔寺駅 前夜は会津若松に宿をとり、JR只見線の只見行きに乗る。発車時には満員だった車内も会津坂下駅で高校生が全員下車すると、残るは数人の乗客だけになり、塔寺駅には8時半に到着だ。 今日はここから旧越後街道を歩き、束松峠を越えて野沢を目指すのです。
越後街道は越後側では会津街道と呼ばれています。概ね街道名は向かう行き先が呼び名になることが多いようです。

※掲載地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分の1地形図を複製したものです。 (承認番号 平16総複、第468号)
越後街道地図1
駅のすぐ下には国道49号バイパスが走っており、その旧道に入れば気多宮宿だ。わずかだが昔の面影がある宿だ。
鐘撞堂峠へは街の西側に警官の殉職碑があり、そこを右に入って峠への県道に出ます。
気多宮宿

鐘撞堂峠の道は2車線の県道になっているが、大型車の通行が結構多く、歩道が無いので歩くには注意が必要だ。 峠までは15分くらいだ。その峠名から、かってはここに鐘撞堂があったのだろうか。しかし何の表示も無く、県道は切通しになっており、かっての街道の面影はまったく無い。
鐘撞堂峠鐘撞堂峠

峠の下りには道路改良により今は使われなくなった旧県道が残っているので、この道に入って下ることにします。途中から峠方向を見上げるとかなり急な斜面になっている。おそらく旧街道はここあたりを最短距離で通っていたのだろうか、しかしその形跡はちょっと見るだけではわからない。
旧県道旧県道

この旧県道もその先で藪になってしまって歩行者でも進めなくなる。そこで脇の山林に入り旧街道跡かも知れないくぼ地をたどって行くと遠回りをしてきた現県道に合流した。
旧県道旧街道跡?

舟渡〜片門

県道を真っ直ぐ進み、少し行くと左への急カーブで下り坂になるが、その手前に一里塚跡の標柱があった。標柱も草木に覆われてしまっている。説明書きは無いが、少し盛り上がったところが塚なのだろうか。
その脇から右へ下がる草道があり、越後街道と書いた標柱もある。ちょっとぬかるんでいる部分もあるがすぐに県道に合流し、その先は舟渡宿だ。
一里塚跡旧街道

舟渡宿は渡しのあった宿場。越後街道は西へ向かうのだがこの宿は南北方向の直線道路に並ぶ街になっている。 かっては只見川対岸への渡しで栄えたようだ。今は少し下流にある県道の橋を渡る。
ここでデジカメの”電池が無い”という表示が出たので、宿内の雑貨店で乾電池を購入する。
舟渡宿舟渡宿

橋を渡って対岸に回れば片門宿。ちょうど街道にいた地元の長老がかっての船着場の場所を教えてくれた。今は家が建っており、また堤防も出来ているためにまったく面影は無くなっている。その只見川は満々とした水が流れている。
宿を出た先では県道が左にカーブして丘を上って行くが、旧街道はこの部分、はっきりとした道筋はわからない。 県道はSカーブで上りきれば直線道路になって次の宿へと向かう。
片門宿片門宿

<平成16年11月>

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