- ●埼玉県●
<東武鉄道東上線の廃線跡>
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東武東上線にもいくつかの廃線跡があります。
- ・東上本線の東松山ー武蔵嵐山間
太平洋戦争中に埼玉県にも飛行場が必要になり、東松山の西部(旧唐子村と宮前村の境界付近)
に飛行場が造られることになった。そのため、東上線の東松山駅(旧武州松山)−武蔵嵐山間で線路は
障害となるために,現在のように滑川町(宮前村)寄りに迂回するように線路を付け替えられた
のである。(現在の森林公園駅は新線上なのです)
しかし、路盤整備の途中で終戦を迎え、旧線に戻ることも無く旧線跡と飛行場という
地名のみが残ったのであります。戦後50年以上経った今では、そのことを知る者は少ない
と思います.
東上線は武蔵嵐山駅を上り方向に行くと2つの踏切を過ぎ、線路は左へカーブします。そこで右前方を
注意して見ると雑木林の中を1本の道がまっすぐ伸びているのが見えます。これが旧線跡なのだ。
途中、舗装もされているが約1Kくらいで雑木林の中に消えてしまう。さらにその先は
工業団地などになっており、場所を特定するのはむずかしいようです。しかし、地図
より判断すると,成恵外科病院入口付近からは再び道路となり,松葉町あたりで現在
の線へと合流しています。道路脇には東武鉄道のコンクリート標識がところどころに
立てられています。森林公園電車区と国道254号の南付近の間がかって飛行場と呼ばれて
いる所であるが,今は東松山工業団地となっている。
- ・貨物支線(小川町)
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小川町駅から
寄居方面に約1K、左側に国道254号線が平行するところがある。この少し手前で(陸橋の手前)
で国道には信号機があり,(ここが昔は踏切だった)廃線は左に分かれる.立派な舗装
道路に変わってしまい南に向かうが、切り通しなどはかっての電車道の雰囲気がある。
廃線道路は腰越の旧石切り場まで続いているのである。
- ・貨物支線(高坂)
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下り電車が高坂駅を出るとすぐに左に切り通しが分岐して
いるのが見えます。車で関越高速を下って来ると高坂サービスエリアを過ぎてゴルフボールよけの
網のトンネルをくぐったすぐのところにオーバークロスする旧貨物線が見える。これ
が日本セメント用の鉱石輸送専用線だったのだ。
先日、近くを通ったついでに終点側を少し見てきました。
見ると、廃線跡は雑草が刈られてきれいになっています。歩くにはちょうどいい感じでした。
地元の人らしきに聞くと廃線を所有する日本セメント社が毎年手入れをしているとのこと。
築堤を遠くから見ると現役の築堤のように見える。しかし線路は無く、所々にコンクリートのポールが
横たわって残っている。また終点付近はゴルフ場のコース管理事務所になっていました。
(1998/1)
- ・貨物支線(西大家)
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越生線の西大家駅の手前で左へ分かれて日本セメントの工場へ入る貨物線も廃止となっている。
お正月仕事に調べてきました。廃線跡は大部分は草地になっており、柵の出来ているところもあるが、西大家駅から1Kmくらいは概ね徒歩で歩けます。
その先は草むらになっており歩くのは苦しい状況。さらにセメント工場に近くなったあたりは築堤だったところだが、取り払われて道路や宅地などに転用されている。
工場に一番近いところは築堤がそのまま残されている。
(A.Kaneko 2002/1)
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