●埼玉県●
<上武鉄道の廃線跡>・・・昭和61年廃止
- ・1997年の状況
-
埼玉県北部にある上武鉄道の廃線跡を歩いてきました.例の「鉄道廃線跡を歩く」
の本は1〜3まで読んでいますが,この線はまだ宮脇氏も書いていませんのでまだ
未調査なのかも知れません.
(その後、1997/12 パート4発行)
まずクルマで八高線の丹荘駅まで行きます.
丹荘駅は今まで何回かは八高線で通過はしていますが,下車したことはありませんでした.
駅員はひとりの典型的なローカル駅ですが,交換設備もあります.今は使われて
いない貨物用留置線もありました.
この駅舎の反対側に上武鉄道のホームが残っていました.線路こそはありません
が,十分に面影が残っています.線路跡やホームには地元の人により花が植えら
れていました.
本線跡は駅を少し出たところで立派な舗装道路になってしまっていますが,少し
行くと砂利の残る草地の築堤や用水路に架かる橋台で雰囲気があります.ここに車
を置いてさらに歩いていくことにしました.
この先の大部分はレンガ敷きの綺麗な遊歩道に変身していました.
遊歩道をしばらく行くと,神川中学校前という駅のホームがあり,駅名標も復元されて
いる。当時の通信用電柱ケーブルもかなりの距離で残っています。
しばらく行くと長い築堤部分が良く残っています。こんな線路跡を歩いていると鈍行列車の旅のような気分にもなるから不思議だ.
その先の谷を渡るところで遊歩道も終わりますが,橋桁はかかったままです.
県道の橋をまわってその先へ行くと,線路跡は砂利道で続いています.しかし,
もうひとつの谷を渡る鉄橋のところで,その先は朝日工業という大きな工場の中
に消えていました.(徒歩所要約2時間)
上武鉄道は昭和61年の廃止ということですから,10年ほど前である.殆どは
道路や遊歩道になっており歩きやすく,十分に雰囲気を残しています.終点
付近に何か記念物があるかなと思ったのですが,何もありませんでした.もしか
したら工場の中に何かあるのかも知れません.
帰りは並行する東武バスに乗ってクルマまで戻りました.
(A.Kaneko 1997/5月)
- ・2004年の状況
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前回の探訪から7年、この上武鉄道の廃線跡は相当変化していました。
丹荘駅の旧ホームは無くなり、完全なさら地になっていました。しかし、信号機BOXは残っていました。
また線路跡の大部分が遊歩道として整備され、砂利道も終点近くのわずかな部分になっていました。
古い電柱が残っていたのも無くなりましたが、信号機が保存されているのを見つけました。遊歩道は変化がつけてあり、一部クルマも入れるところもありますが、ほとんど人も車も通りません。
きれいにレンガで舗装された遊歩道は終点近くの一つ目の橋の所まで続いています。この先は以前と変わっていませんでした。
終点近くは生活道路(というか民家の裏道)となっており、橋の先は工場の藪の中に消えています。