●東京都●
<五日市鉄道の廃線跡>・・・昭和19年廃止
八高線ガード
五日市鉄道の現JR五日市線は1925年に開通。その後、青梅線と平行する形で 拝島ー立川間が1930年に延長開通した。
しかし、戦時輸送体制強化のためこの拝島ー立川間は青梅線と競合するため、1944年に休止され、 終戦後も2度と列車は走ることはなく、廃線となったものである。
JR拝島駅を南口から下車し,立川方向に少し歩くとわかった者であれば緩い カーブになっている道路兼用の自転車置き場が廃線跡とわかります.市が買い 上げてあるらしく,綺麗に舗装されており,その先は道路となっています.
ここからしばらくの間は幅は十分に複線ほどの広さがありますが,当時はどうだったのだろうか.緩い下りで途中には築堤になっている部分もあります. しばらく行くと,道路が行き止まりになって少し芝生地になっており,すぐ先は 新奥多摩街道(国道16号線と重複部)と合流し,面影は消えています.
しばらくこの新奥多摩街道の歩道を歩き,新装昭島市役所の前の先の信号機の 交差点で左斜めに入る簡易舗装の道路が続いているのが見えてきます.これが廃線跡の 続きです. 以前に見たときは草地だったのですが,歩きやすい道路になっていました. 本当はこのあたりは徐々に下がって切り通しになって都道と八高線をアンダークロス するのですが,完全に埋め立てられて道路となっていました.しかし,八高線のガード 部分は完全に残っています.ガード下は穴状になっており,ゴミなどが投げ込まれ ていました.
実は10年ほど前までは,JR八高線から見えるこの掘割はなんなんだろうといつも 思っていたのです.私が廃線跡と知ったのはごく最近なのです.埋め立てられる前は ホームも残っていたそうなのですが... 駅跡
さらに少し掘割状の廃線跡の道路を進みます.宮沢を過ぎると道路も完全な表 通りの感じになって来て,まもなく酒屋さんの建物の裏へ突き当たってしまい ました.お店の表側は都道です.このあたりから先は殆どが建物となっており, 廃線跡は特定できなくなります.迂回して予想を付けながら,立川寄りへ進むと 不自然な空き地と古い桜の木が数本ある場所があり,旧駅を感じさせるところが ありました.ここは丁度,多摩大橋からまっすぐ来る都道の延長(工事中)付近 です.そこから少しそれと思われる道路を行くがすぐに住宅に当たり,その先は まったく想像が付きませんでした.
廃線跡はこの先,中央・青梅線の直通用下り線に合流しているはずなの ですが... ここであきらめて青梅線方向へ歩くとまもなく,東中神駅でした. (A.Kaneko 1997/11)
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